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2006-09-18

腐れ縁が取り持つ「浮雲」

 今から、およそ10年前、アキ・カウリスマキ監督による「浮き雲」という、微笑ましくもすっ呆けたようなフィンランドの映画がありました。
 決して笑わない、柔和な表情が抜け落ちているような女性(カティ・オウティネン)がヒロインの、ボクの好きな外国映画ですが、今回は、その「浮き雲」ではなく、日本映画のほうの「浮雲」です。
 1955年の成瀬己喜男監督の最高傑作と言われている作品で、戦後4年を経て発表された林芙美子の長編小説を水木洋子が脚色しています。

 ラスト、誰にも看取られることなく、死んだ女(高峰秀子)の枕頭に座り込んだ男(森雅之)がこらえ切れない嗚咽を洩らしながら「幸子(ゆきこ)・・・」と死んだ女の名前を口にして悲嘆に暮れます。
 いつも、このラストシーンを観るたびに思い出す映画があります。

 フェデリコ・フェリーニ監督の「道」(1954年)ですね。
 この映画でも、瓶詰め女のジュリエッタ・マシーナが死んでしまったラスト、大道芸人のアンソニー・クインも泣いています。
 「浮雲」のドンファン・富岡も、「道」の荒くれ男・ザンパノも、どちらも女を邪険に扱っています。邪険にしながらも、一方は付かず離れず女と関係を持ち、もう一方は旅の生活をともにしています。
 そして、自分が邪険にしていた女がこの世から去ると、富岡は女の枕元で蹲るようにして嗚咽を洩らし、ザンパノは地べたに跪いて天を仰ぐようにして号泣します。

 泣き方こそ違え、どちらも同じなんですね。
 女が生きていた時は、もう相手がウザくて「どっかへ消えてしまえ!」と思うほど冷たくあしらっていたのに、そんな相手が死んでしまうと、実は自分にとって最も必要な女だったことに気付きます。
 だからこそ、悔恨の思いから泣いてしまう男たちのアホさ加減に比べ、死んだ女たちは男に涙を流させることによって、図らずも短かった自分の生を自ら讃えることになります。
 

 映画「浮雲」との出会いは、中学3年のころに遡ります。
 土曜の昼下がり、テレビで放映された時に観たのが始まりです。それ以前に、林芙美子の原作も読んでいました。
 中学生が「浮雲」に興味を持っていたなど、随分マセた中坊だったようですが、そんな中坊には小説のほうも、映画のほうもよく理解できなかったのは確かなことでした^^
 そりゃそうでしょう。小説も映画も男と女の話ですが、ただ単に「I love you」と囁き合っているような作品ではなかったのですから。
 あとになって分かったことですが、この作品に登場する幸子も富岡も、最早「I love you」などという甘い言葉を囁き合った以後の男と女の関係の話ですから、まだ恋愛経験のなかった中坊に分かるはずもないですよね。

 2度目に映画「浮雲」に出会ったのは、大学生のころでした。しかし、その時も男と女の間に横たわる深い谷間を理解しえたとはいえません。そして3度目の出会いを果たしたのが、今からちょうど10年前でした。以後、この映画を映画館で観ることは現在までありませんが、テレビ放映での初めての出会いから3度目の出会いまで、30年の歳月が流れていました。

 戦争中、森林資源の調査のため、軍属として安南(アンナン=現・ベトナム)に派遣されていた富岡と、タイピストとして日本から派遣されてきた幸子は恋に落ちます。
 当初、幸子は富岡の態度に反発を感じて馴染めなかったのですが、富岡は女に手の早い男です。現地人のメイドとも関係を持っているようです。
 日本を遠く離れた異郷の地で激しい情熱を交わした二人は、日本が戦争に負けると日本に戻り、戦後の混乱した世相の中に放り込まれます。映画は、幸子が引き揚げ船で舞鶴に到着したところから始まります。
 早速、幸子は先に日本に戻っていた富岡を頼って上京します。しかし、富岡は病身の妻を抱え、仕事も思うに任せず、冴えない男になっています。かの地で颯爽としていた面影はすでにありません。

 ここから幸子と富岡の付かず、離れずの関係が展開してゆきます。
 でも、この二人、生きていくということに関して、もう終わってしまっているんですね。戦後の新しい時代の幕開けというのも、二人には関係のないことです。
 女に頼り、時に口喧嘩をしても、すぐその後で女にカネを無心に来るような富岡と、米兵(ロイ・ジェイムス)のオンリーをしたり、あやしげな新興宗教を始めた従兄弟(山形勲)と関係を持ったりしながらも富岡を忘れきれず、捨てきれない幸子は会えば、戦争中の楽しかった二人の外国生活の話に耽っています。
 
 二人で伊香保温泉に行けば、そこでも富岡はたまたま知り合った湯治客の女(岡田茉莉子)とも関係を持ってしまいます。それを知りながらも、幸子は富岡と離れることはできません。
 共依存といえば、そういえなくもない関係で、ダラダラとした二人の生活には全く夢も希望もありません。
 無理もありません。二人の生に対する熱い息吹は、もう既に外地での生活で終わっているのですから。戦後の二人は、かつて、そんな熱い息吹を宿していた肉体の抜け殻でしかないのです。
 日本に戻って、なおかつ、再生への意欲を持っているのなら思い出話に耽ることはないでしょうし、そもそも、とっくに二人の関係に終止符が打たれているはずですよね。

 そんな富岡に再生のチャンスが訪れます。営林署の技官として、屋久島に赴くことになります。しかし、内地を遠く離れる男を前に幸子のほうは完全に行き場をなくしてしまいます。
 思い余って富岡に縋るように発する幸子の一言が泣かせます。

 「・・・あたしも連れてって・・・」

 幸子を演じる高峰秀子の少し鼻にかかったような、けだるそうで、それでいて必死に懇願する思いのこもった声が印象的です。

 そんな幸子の思いを拒否できず、富岡は幸子を伴って屋久島へ赴くことになりますが、途中、幸子は病を得て世話になった医師(大川平八郎)に見送られながら屋久島への船に乗り込み、やがて、篠つくような雨の中、二人は屋久島に到着します。
 この二人の屋久島行きの光景は、あたかも逃避行のようです。
 恋の逃避行、といえば甘い響きもありますが、二人にそんな甘さはありません。東京から九州の孤島へ逃げるように向かい、より深い二人だけの谷間に潜むかのような逃避行ですね。
 だが、それも、女の死によって叶わず、男は独り残されてしまいます。
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 『浮雲』は何度も観ている好きな作品ですが、フェリー二の『道』との関連性には全く気付きませんでした。そういえば、両作品ともラストは似ていますし、テーマも同じといえば、そうかもしれない。
 話は違いますが、昨年、『浮雲』のニュープリントを観たのですが、たぶん保存されているネガに問題があるのでしょう。コントラストが最悪で、ところどころ雨が降っていました。加えて、音とびも少しありました。
 ところが、びっくりしたことに、DVDではそれらの傷やら何やらが見事に補修されていて、ソフトタッチの良い画質に変貌していました。
 コストの問題でしょうがないのかもしれませんが、映画館より家庭で観る方が、きれいなものを観れるとはこれいかに?
 

井の中の蛙さんへ

 映画「浮雲」、いい映画ですよね。かつて、日本映画も、こんな大人の映画を持ち得ていたんですね。

 画質が違うとなれば、映画館がいいか、家庭でDVDがいいか、う~ん、難しい^^
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