2006-07-13

70)しのぶは観音様なん??「やわらかい生活」

 今、映画で最も”おいしい生活”をしている女優、寺島しのぶの新作「やわらかい生活」を観てきました。
 絲山秋子原作の「イッツ・オンリー・トーク」を、2003年の映画「ヴァイブレータ」のトリオ(脚本・荒井晴彦、監督・廣木隆一、主演・寺島しのぶ)が映画化した作品です。
 映画の冒頭、映画館の暗闇の中で隣りに坐ったおっちゃんから痴漢行為を受け、ヒロンが激しく息を喘がせるシーンが出てきますが、てっきり、こりゃダイアン・キートン主演「ミスター・グッドバーを探して」(1977年)の日本版かいな?? と思いきや、違うとりました^^
 (この映画を観るつもりの人は、「続きを読む」をクリックしないで^^)


 アメリカ映画「ミスター・グッドバーを探して」のヒロインは教え子の学生にレイプされて以来、男を求めてさまよい、悲惨な最期を遂げましたが、「やわらかい生活」のヒロイン、優子は死ぬなど致しません。
 いや、うつ病という心の病を抱えているにもかかわらず、死の翳など漂ってはおらず、むしろ、可憐で逞しい女の子(といっても35歳という設定ですが・・・)です。

 むろん、優子もグッドバーを求めています。しかし、それは決して肉体的なグッドバーを意味していません。この、グッドバーを求めているにもかかわらず、というのがこの映画の面白さになっています。
 うつ病になった原因には、両親の死や仕事上のよきライバルでもあった親友の突然死が関わっています。以来、仕事はせず、両親の残した遺産で暮らしています。
 両親を火災で亡くしていますが、優子は阪神大震災で亡くしたことにしています。従兄弟に「どうして?」と聞かれ、優子は「だって、そのほうが悲しみを共有できるじゃない」と言います。
 いつも銭湯の仕舞い湯に入る優子はバスタオルを体に巻いたまま、浴槽に入ります。眉をしかめ、無言の抗議の視線を送る客に「あたし、体に刺青入れてるんです。若気の至りで・・・」と、あっけらかんと言います。
 両親の法事に集まった親戚を前に自分の近況を報告する優子は自分がうつ病で入退院を繰り返していたことを話し、「入退院といっても精神がちょっと捻挫しただけなんです」と明るく振舞います。
 主な舞台になるのは東京・蒲田ですが、痴漢プレイで初めて訪れた蒲田に癒しの風景を見い出し、即、銭湯の二階にあるアパートに引っ越してきます。街のあちこちをデジカメで撮影して回り、蒲田を「粋のない下町」と自分のHPに打ち込んだりします。
 
 これ、みんな、優子の自分を守るための武装なんですね。両親は震災では死んでいないし、刺青もありません。ただ、セリフで説明されるだけながら、体に火傷の跡が残っているようです。虚構を作り上げることによって煩わしい他人の詮索を避け、もっともらしい理由で納得させています。「精神がちょっと捻挫しただけ」と自ら説明するのも同様です。
 ね、優子って逞しいですね。とても、精神の病を抱えているような女の子にできる発想ではありません。でも、優子はそう発想して生きています。つまり、優子は自分なりに自分の病気と向かい合っているんですね。暮らしやすい街を見つけ、すぐに引っ越してくる行動力も持ち併せています。

 こんなヒロインの前に四人の男性が現れます。
 上品に痴漢プレイを楽しんでいるおっちゃん(田口トモロウ)、優子の大学時代の友達で、都議選挙に出馬しているED障害の元銀行マン(松岡俊介)、同じうつ病を抱えている子持ちのチンピラやくざ{妻夫木聡)、妻とは離婚寸前で優子のアパートに転がり込んでくる従兄弟(豊川悦司)の四人が交互に優子と束の間の接触を持ちます。
 といって、優子と彼らとの間に肉体的な接触があるわけではありません。男友達との会話から優子の大学時代の生活や、優子がかつてはキャリアウーマンとして仕事に生きていたことなどが知れます。
 
 やがて、この男たちのそれぞれの決着を優子は見たり、聞いたりして映画は結末を迎えますが、映画が終わった後、実はこの映画が大きな逆転劇であったことに気付かされます。
 うつ病を抱え、精神的な放浪を続けている優子が、その癒しのためのグッドバーを探していたはずなのに、優子と出会った男たちのほうこそ、グッドバーを求めていて優子に癒されていたという逆転です。男たちのほうが病んでいたんですね。
 痴漢プレイで辛うじて心の平衡を保っているおっちゃん、子どものころの原風景に出会って安心するチンピラやくざ、優子と再会することで別の女性と知り合うことになるEDの男友達、優子としばらく生活をともにすることで今後の生き方を決意する従兄弟など、皆、優子を通過することによって再生への道を見つけます(そうでないのも出てきますが・・・)。

 じゃ、優子は本当にグッドバーを求めていなかったのか?
 それは、今度こそ、バスタオルを巻かないで優子が浴槽に入っているラストシーンに凝縮されています。
 

 
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私自身も何か書こうかと思っていましたが、どうもいかんせん、パソコンの前に座っていても、何も書けない。ということで、書き込みをします。
いっけん、人のふれあいを求めているヒロインですが、彼女を理解するのは、常人では難しく、ほとほと疲れ果てて、どちらにしても、最後には彼女の元から去って行くでしょう。そのあたりの危うさが、よく描けていたのではないでしょうか? 甲斐智恵美がどうかは知りませんが、あの映画でいえば、ラストは決してハッピーエンドではなく、あの後、躁鬱病のヒロインは、ほとんど衝動的に自殺する可能性もありますし、そうでなくても病気が進行することは間違いない。と思いますが、いかがなものでしょうか。
ただ、映画の売り方に問題ありです。すごくもったいない。

名なしの権兵衛さんへ

 コメント、ありがとうございます。
 男たちは皆、とりわけ、従兄弟もですが、ヒロインの扱い方に疲れ果てて去ってはいってないですよね。
 この映画、決してハッピーエンドに終わってはいないけど、ラスト、ヒロインが「皆、いなくなってしまった」と呟き、涙を流すシーンを観て、ボクは余計ヒロインに死の翳など感じなかったのですが・・・。そう客観視できるくらいだから自分の現状を十分認識していますよね。あそこで自分の状態を認識できない人間なら衝動的に死に走ることがあるいはあるかも知れないけど、この後、ヒロインが衝動的に自殺する可能性なんて思いも寄らぬことじゃないですか。彼女、強いですよ^^まして、自分の病気に対して周囲に頼ることなく(ってか、周囲に人もいなかったけど)彼女は真正面から向き合ってはいませんでしたか?
 表のブログには記さなかったことですが、個人的にはヒロインが居酒屋で男友達から「何を目的に生きてるの?」と聞かれた時、死んだ友達のようにはいかないけれど、と前置きして「彼女の分まで長生きすることかな」と冗談めかして言う一言がすごく心に残りました。冗談めかしてはいるけれど、それがラストのひと言に連動しているなっと感じました。
 あまりにも早い両親との別れもさることながら、無二の親友(ヒロイン自身、そう言ってますよね)の突然死のほうがヒロインにとっては耐えられないほどのショックだったんですよね、きっと。仕事上のライバルであったとも言える親友は彼女にとって精神的な支柱だったんですよね。それが、ある日、なくなってしまって彼女はうろたえることになった(ボクの想像です^^)。そして、いくばくかの時間が経過し、うつ病で不安定な精神状態にあるけれど、亡くなった親友に対して、そういう思いでいるのなら、死に対して思うことがあっても本気で死ぬことって考えないんじゃないかな。
 正直、へぇー、女でもそういうことってあるんだとちょっと驚愕でした。原作でこの部分はどうなのかは知りませんが、これって男によく見られる述懐ですよね。脚本も監督も男だから、そうなったのかなーと。
 久しぶりですね、観るほうの年齢、経験、性格、環境などによって、いろいろな受け止め方が出てくる映画というのは。そういう意味でも、この映画は最近にない面白い映画でした。
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