2006-06-02

54)続・名画座

 東の文芸坐が出たら、西の名画座は関西人にとっては京都市内の北東部にあった京一会館ですよね。
 あったとキーを打ちましたが、そう、今はなき名画座です。この映画館については、ブログつながりのヤノさんがかつて、その支配人のことも含めてブログに感慨を述べておられました。しかし、ボクとヤノさんとでは10年余も年齢に開きがあるので、当然、この名画座に出入りしていた時期も異なっています。
 というのも、この名画座も文芸坐同様、一時、閉館になり、やがて再開となったものの、完全閉館になった映画館だからです。ボクはその閉館以前、ヤノさんは再開後、出入りするようになっており、従って、再開後の京一会館を知らないのがボクです。



 大阪・梅田から阪急電車に乗り、京都の四条河原町駅まで、およそ30分。四条通りを東方向へ四条大橋を越えてトコトコ歩きます。橋を渡り終えると右手に南座を眺めながら(後年、南座へは歌舞伎や商業演劇で通うようになります)さらにトコトコッと突き当たりにある八坂神社まで歩き、その祇園下という市電の乗り場から東大路という広い道路を北に向かう市電に乗ります。

 そう、ボクが京一会館に通っていたころは、まだ京都市内に市電が走っていたのですね。今は公共の乗り物といえばバスか地下鉄になっています。
 余談ながら、車社会の趨勢で市電がなくなり、大阪同様、京都市内にも地下鉄が走るようになったのですが、京都に地下鉄が走るようになるとは思わなかったですね。しかし、ボクは京都に対して部外者です。京都市内に住む人たちの利便性を考えれば、そこで生活していない、ほんの一時訪れるだけの部外者は何もいえません。

 さて、北上した市電がやがて西方向にカーブする角に高野という市電の駅があります。そこで市電を降りて、さらに北東方向にトコトコッと歩き、小川に架かった橋を越え、もう少しトコトコッとすること数分、やがて小さな通りに面して建つスーパーが見えてきます。ここはスーパーマーケットというより、町の市場といったほうがぴったりな、いかにも昭和30~40年代にあったようなこじんまりとした店でした。
 そのスーパーの二階にデーンと構えていたのが、そのころ、関西の映画ファン(とりわけ、日本映画の)に注目されていた京一会館です。

 おおまかな場所をいえば、宮本武蔵と吉岡一門との闘いで有名な一乗寺が近くにあり、三条から京福電車に乗れば、より一乗寺に近い駅で降りて、この名画座に足を運ぶことになります。
 通りに面したスーパー入り口の右手にある鋼鉄製の階段をコンコンコンッと上って映画館の入り口に至ります。何分にも階下のスーパーが年代物ですから、上にある名画座も近代設備バッチリな映画館というわけにはいきません。
 やはり、ここもボクには見慣れた昭和30年代の映画館風で、昔にタイムスリップした雰囲気ですが、あいにく、そのころからノスタルジックな空気に浸る趣味のなかったボクは「こんなもんかいな」という受け止め方しかありませんでした^^
 しかし、驚かされたのは館内に入ってからです。入り口を越えてすぐ、映画館のフロアは4~5段の階段がついて床が高くなているのですが、壁といわず、天井といわず、辺り一面、映画のポスター、ポスター、ポスター・・・、もうポスター一色の世界です。すき間なくといっても大げさでないほど、ポスターで埋め尽くされており、これには正直、驚愕です。
 驚きばかりでなく、影響されました。なぜなら、その後、ボクも自分の部屋の天井や壁にポスターを貼り尽くして、しばらくは京一風味を味わっていたからです^^
 配給会社の宣材で館内を飾る封切館(ロードショー館)と異なり、名画座には映画を観る以外、こういう楽しみがありましたよね。どういうポスターをどこに、どういうふうに飾るか、これはその映画館の支配人、あるいは映画上映を運営しているスタッフの映画に対する姿勢、センスが如実に表れる部分だったと思います。

 そんな京都の名画座・京一会館で初めて観た映画は、バンツマ映画でした。バンツマ、阪東妻三郎、さきごろ、あっちの世界に引っ越された田村高広、古畑刑事さんの田村正和らのオヤジさん、時代劇の大スターだった人ですね。上映作品は「魔像」(1952年、監督・大曽根立夫、「王将」(1948年、伊藤大輔監督)、「破れ太鼓」(1949年、監督・木下惠介)、「おぼろ駕籠」(1951年、監督・伊藤大輔)です。
 その後も立て続けに小津映画特集やエノケン(榎本健一)映画特集にも通い、最初に内田吐夢監督の「宮本武藏」シリーズ全五部作を通しで観たのも、この映画館でした。
 大阪にある映画館とは一味違った企画の映画上映を楽しむことができましたが、先にも述べたヤノさんは学生時代から京都になじんでいた人であるのに対し、ボクはそうではなかったため、「いつも京一な観客」でなかったことは確かです。
 
 そして、最後に京一会館で観た映画はオールナイトの東映任侠映画特集でした。既に何度も観ていた「緋牡丹博徒 花札勝負」(1969年、監督・加藤泰)、「日本女侠伝 侠客芸者」(1969年、監督・山下耕作)、「日本侠客伝 花と龍」(1969年、監督・マキノ雅弘)、「昭和残侠伝 死んで貰います」(1970年、監督・マキノ雅弘)、「藤純子引退記念映画 関東緋桜一家」(1972年、監督・マキノ雅弘)が上映作品でした。
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自分のブログはほったらかしです。その割には、そろそろカウンターが4000に届きそうです。すみません。私が通っていた頃の京一会館は、何があったのかは知りませんが、三角マークの会社の映画の上映はありませんでした。ですからかもしれませんが、私は東映の時代劇とか任侠映画と縁遠くなったのかもしれません。かといって、あれほど定期的に上映していた小津映画も一本も観ていません。とにかく、日活映画、それも平仮名のにっかつ映画ばかりを熱心に観ていました。それをこの年齢になって、とりもどそうと必死です。再来週は新世界で『炎の城』がかかります。珍品と聞きましたが、どうですか?
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