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2016-10-16

毛利菊枝と『ぼんち』

                       ぼんち161019


 映画館へ足を向けることがなくなり、随分な時間が経ってます。今は映画館と表現するより、シネマコンプレックス、通称・シネコンと言ったほうがぴったりの時代でおますな。かつてのような床がコンクリート打ちっぱなしの、快適設備は置いてけ堀のような寒々とした映画小屋は日本からほとんど姿を消し、上映の間の数時間を過ごしても少しも苦にならないような、アメリカ仕込みの映画小屋(小屋と表現するには失礼でおますけど)に映画興行界は変身しとります。
 冬期、体が冷えて映画の途中で尿意を催しても我慢して映画を観ることをむさぼっていた時代ではなくなり、快適空間で映画を楽しめる時代になったというのに、その途端、にわかに映画小屋から足が遠のいてしまった。今こそ快適に映画を観ることをむさぼれる時代になったのに皮肉なものでおます。
 この9月、例の文化庁主催の優秀映画鑑賞推進事業、平たく言えば文化庁の田舎回りの巡回上映会に参加しました。観た作品
は市川崑監督の『ぼんち』(1960年、大映京都)、『おはん』(1984年、東宝映画)、『野火』(1959年、大映東京)の3作品でおました。上映プログラムには、これに加えて1965年の『東京オリンピック』がおましたが、これは諸般の事情からカットしました。
 振り返れば、映画上映設備のある場所で、大きな画面に映し出された映画を観たのは、まるまる2年ぶりのことでおました。その2年前も今回と同じく巡回映画の時で、かつては毎月、数えるのに10本の手指では足りないくらい映画を観ていたころに比べると、何という変わり様でおますことか。
 今の映画に魅力を感じなくなったのか。そうですねん。
 おサイフ事情が許さなくなったのか。そうですねん。

 映画小屋から離れた個人的理由はいろいろとおます。と同時に、およそ40年間、愛読してきた映画雑誌(キネマ旬報)の購読もぷっつりやめてしまいました。購読をやめてみて新作映画の細かい情報を得なくても、わが生活に何の痛痒も感じなくなっている自分をみて、愕然としたこともおますが、今や現代の映画情報から最も遠いところにいるのも事実でおます。
 これから先、映画小屋に足を向けることはあるのか。それは分かりまへん。

 『ぼんち』
 新聞記者から小説家に転身した山崎豊子の小説の映画化でおます。初期の山崎作品の特徴である自分が生まれ育った大阪・船場の世界のお話で、何百年と古いしきたりを守ってきた大阪商人の街、船場は戦後のめまぐるしい経済戦争の中で消え去り、船場という名前は今では町の名前でしか残ってまへん。それも30数年前の大阪市の地区名変更で、死語から甦ったような命名で、オフイス街となっているものの、雑多な街になっております。
 映画の舞台は、その船場の最後を見届けた足袋問屋の老主人(市川雷蔵)が、売れない中年の噺家(中村鴈治郎)を相手に、過ぎてきた自分の半生を物語るところから始まります。
 「ぼんち」とは、坊ちゃんという意味の船場特有の呼び名で、ただの坊ちゃんなら単に「ほんぼん」でおますが、遊びでも商売でも一本筋の通った生き方ができへんと「ぼんち」とはよばれまへん。原作でも語られていますが、「女に騙されても男に騙されたらアカン。それに遊んでいても人にものを考えさせるような生き方でないとアカン」と誠に難しいものでおます。
 三代、女系家族が続いた足袋問屋に久しぶりの跡取り息子として生まれたぼんちの雷蔵の女性遍歴のお話で、外に作った愛人たちで苦労するより、本当の敵は女系三代を誇り高いプライドで生きてきた祖母(毛利菊枝)と実母(山田五十鈴)で、直径親族を相手に苦労するという皮肉なお話でおます。
 雷蔵を取り巻く女優陣がすごおます。祖母と母親にいびりだされる妻に中村玉緒、愛人となる女たちにはちゃかり屋の芸者の若尾文子、競馬狂のホステスに越路吹雪、落ち着いた物腰の中居頭に京マチ子、子どもを残して早世する芸者の草笛光子などなど、さながら当時のトップ女優たちの競演でおます。これに原作ではもう一人、一番年若い芸者のタマゴが出てきますが、映画ではカットされとります。適当な女優は見つからなかったのか、多く女が出れば混線気味になるので、あえてカットしてしもうたのか。

 女優の花の競演でおますが、これらの中で最も強烈に印象を残しているのが毛利菊枝のおばあちゃんでおました。関西新劇界のボス的存在。今や新劇という言葉も死語に近うおますが、映画では常に脇役だった女優さんでおます。溝口健二監督の『雨月物語』の京マチ子に付き沿う乳母、萩原遼監督の『紅孔雀』シリーズの魔法使いのおばあさん、加藤泰監督の『明治侠客伝・三代目襲名』の木屋辰二代目の姐さんなど、きらびやかな旬の女優たちの色気とは程遠い存在でおますが、『ぼんち』では船場の女系三代の格式とプライドがある冷酷なまでの非情さを体現しとります。
 この毛利菊枝とニコイチのような存在で登場する娘(つまり、ぼんちの母親)の山田五十鈴も、台所仕事で嫁の玉緒をいびる見せ場があるものの、毛利菊枝の厳然とした存在感に完全に影に隠れた感じでおます。
 この毛利菊枝を見て、もし今、この作品の再映画化があった場合、「お家(え)はん」と呼ばれる老女を演じられる女優はおらんかいなと頭をめぐらせてみたのでおますが、誰もおりまへん。おばあさん役者が払しょくしているのでおますな。年をとっても、皆きれいきれいの女優ばかりで、間隙を縫うように出てきている唯一のおばあさん役者に樹木希林がいてはりますが、もちろん、この役は彼女のニンではおません。最近、老け役の多い泉ピン子ではなおのこと品格が保てまへん。

 この映画はシネマスコープ作品でおますが、残念なことに上映会場のスクリーン設備が完全でなかったためか、つまり、映画の上映サイズに合わせて上下の暗幕が移動しなかったため、シネマスコープサイズなのに、ビスタサイズの映画を観せられているようで、次に上映されたビスタサイズの『おはん』はまるでスタンダードサイズの映画のようで、これらは映画の内容には関係なく、上映する側の主催者の気配りのなさというものでおます。来年の上映時にはどうなっているのか、一応、アンケート用紙にはいらんことを書いておきましたけどぉ……。

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