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2016-07-16

私家版加藤泰論への道 生誕100年を記念した加藤ワールド3

 のんびり過ごしているうちに始まっちゃったよ、フィルムセンターの特集上映「生誕100年 映画監督加藤泰」。入りはどうなんでしょうかね。
 いつものお江戸のお友達とは違う関東在住のお友達F氏から先日、電話があり、開口一番「行かないの?」と訊かれちゃいました。
 そ、そんな殺生な質問はやめてよの気分です。かつて、東京・渋谷のユ―ロスペースであった加藤泰映画の上映会にスケジュールも分からないまま駆け付けたボクを知るF氏にとっては当然の質問ながら、時代は「流れ、流れて」、かつて以上に今は東海道五十三次、遠くなっています。
 新幹線の速さ以上に関東・関西をつなぐリニアモーターカーも現実となっているこの21世紀、ボクにとってはかつて以上に花のお江戸が遠くなっているのはどうしてなんだろう……??
 スケジュールも分からないまま血気にはやって東下りしたユーロスペースの催し初日に観たのは、加藤泰映画を観る上で、語る上でも絶対に欠かせない『車夫遊侠伝・喧嘩辰』であったことは東下りした甲斐があったというものでした。

喧嘩辰 160715
23)車夫遊侠伝 喧嘩辰(1964年、東映京都)
 人間、何かを必死にシャカリキになってやっていると、本人は大まじめでも周りから見ると何ともおかしくて微笑ましい現象というのがよくある。そんなおかしくて、しかし、本人にとっては大汗を掻くほどの真剣な男と女の騒動を描いた加藤泰フィルモグラフィーからは欠かせない映画の代表作。
 もうほんの数年で20世紀になろうとする19世紀最末期(1898年=明治31年)の大阪で生きていた東京から流れ者の人力車夫・内田良平と大阪と京都の府県境の山崎出身の売れっ子芸者・桜町弘子との「お前ら何やってんの?」と言いたくなるようなおかしくて、そしてちょっぴりホロリとさせる男と女の愛の物語の一編。
 地元・大阪で上映されると、男と女がめでたく結婚式を挙げ、「有馬温泉へ出発や!」と曾我廼家明蝶扮する親分の声が上がると必ず観客席からドッと笑い声が湧き起こる。大阪の人間にとってあまりにも身近な温泉地がハネムーン先に選ばれているからだろうが、この感覚は東京の人にとっては箱根温泉がハネムーン先になることに匹敵しているだろうか。
 騒がしい披露宴後の新郎・新婦の送り出しから一転、アップと超ロングショットを組み合わせたモノクロ画面の黒と白のコントラストが生きる人力車のまさに道行きシーン、目的の旅館に到着し、せっかくの結婚が破たんになってしまうシーンを経て大阪に戻った車夫が芸者を仲人の親分に突き返し、その後の小休止のようなシーンで大阪の古い子守唄「天満の子守唄」が流れるまでのたたみかけるような展開は、結婚以前の男が女に惚れてしまった下りを含め、導入部のシーンは目が離せないほどの巧みな話術が生きている。
 映画の冒頭、梅田ステーション(現在のJR大阪駅)のシーンに「1898年(明治三十一年)」のテロップが出るが、初めてこの作品に接した時から「なんでわざわざ……?」と不思議でならなかった。作品的には時代設定をはっきりさせる意図であることはわかるが、
何度もこの作品を観返しているうちにハタッと思い当たった。特に設定した時代から考えると、これは1915(大正5)年生まれの加藤泰監督の親世代の物語だったのではないかと。むろん、両親の自伝という意味ではない。そんなこは加藤監督は一言も語っていないし、残された文章や記録にもない。想像でしかないが、これは監督の親世代の人たちが若かったころのある男と女との出会いと結びつきを描いたのではないか。しかし、この作品でモデルとなった男と女が結ばれるまでのやり取り、心の動きは加藤監督自身の経験が裏打ちされていると推測している。
 この作品のヒロインを演じている桜町弘子もどこかの書物で語っている。「加藤先生の映画に出てくる女って、先生の奥さまがモデルじゃないかしら」と。

24)幕末残酷物語(1964年、東映京都)
 恩師・伊藤大輔監督が日本映画がまだサイレントであったころ『「興亡新選組前史・後史』(1930年、日活太秦)で新選組を描いたように、弟子をもって自認する加藤泰監督も幕末の御用暴力集団であった新選組にチャレンジした映画。
 全編、新選組の屯所内に限定した男たちだけの息詰まるような明け暮れが活写されていく。新選組創立に寄与した総長・芹沢鴨の甥という出自を隠して潜入した若侍に扮した大川橋蔵が、それまでの目ばりばっちりなメイクを捨てノーメイクで挑んだ作品だが、その後の映画、テレビの新選組ドラマで常に清廉な若者として登場している沖田総司(河原崎長一郎)が隊士が次々に粛清される中で組織内にあって自己矛盾を抱えながらも表面にけっして出さない姿が印象深い。
 そして、竹光で切腹し、負傷して寝込んだ橋蔵の主観のショットで初めて登場する田舎出の屯所の下働き・藤純子の清らかさも忘れ難い。

25)明治侠客伝 三代目襲名(1965年、東映京都)
 既に時代劇の東映からやくざ映画の東映にウリを変えていた中で、初めて加藤泰監督が本格的なやくざ映画(世にいう任侠映画)に参戦した作品。明治時代の大阪で対立するやくざ組織の抗争を描くとともに。その抗争に巻き込まれていくやくざな男・鶴田浩二と
曾根崎新地の娼婦・藤純子の愛の行く末が情緒てんめんに描かれる。加藤監督は「長谷川伸の世界を目指した」と語っているが、男と女がやくざ世界の絡み(義理)から、お互いに「アホな奴(おなご)」と自嘲しているところがもの哀しい。
 リアルタイムで観たことはないが、始めて大阪・新世界の映画小屋でこの作品に接した時はクレジットタイトルが途中で欠け、赤茶けて褪色もはなはだしいフィルムだった。

遊侠一匹
26)沓掛時次郎 遊侠一匹(1966年、東映京都)
 『瞼の母』に続く長谷川伸の戯曲の映画化で、加藤泰監督がやくざ映画が主流になっていた東映で時代劇の映画製作を熱望していた中村錦之助との最後の作品となった映画。やくざ世界の付き合いで殺してしまった男の妻と子どもを連れて旅に出た男が、その人妻にどうしようもなく魅かれていき、人妻のほうも憎い仇のはずであった男の存在に亡くなった夫に「このごろでは思い出すのも少なくなった」と心で詫びる。篇中、酒に酔った男が述懐する「人の心は勝手に動いてしまう」の言葉通り、意識している自分の心と無意識に発露してしまう本当の自分の思いとの間で苦しみ、のたうち回る姿が股旅時代劇ながら男と女にカセを設けることで恋愛ドラマの秀作に仕上がっている。

骨までしゃぶる
26)骨までしゃぶる(1966年、東映京都)
 幼い弟妹たちの世話に追われていた貧しい、無学の女が東京・洲崎の娼婦になったことで成長していくストーリー。といっても全勢を誇る遊女として成長するのではない。遊廓という世界を通して、社会のからくりを学び、敢然と反旗を翻し、勝利を勝ち取るまでの姿を追っていく。まさに加藤泰監督好みの「強い女」の体現であり、ヒロインが反旗を翻したものの、いったんは破れ、悔し涙に暮れる姿は映画界で常に闘いを挑んできた監督自身の経験を彷彿させる。
 こういう無知な女の成長物語は後年の超大作『日本侠花伝』(1973年、東宝)にも共通している。残念ながら、この作品は超大作ではなく、低予算の添え物、モノクロ映画で、製作予算、撮影日数さえ守れば、あとは自由という条件の映画こそ、加藤監督の真骨頂が発揮され、「オモロイ映画」に仕上がっている。
 この作品で初めて映画の主役を務めた桜町弘子は、かつて東京・阿佐ヶ谷の名画座で上映された時、自宅が近所であったためか毎日のようにこの自分の記念作品を観に来ていたという。

28)男の顔は履歴書(1966年、松竹大船)
 『恋染め浪人』以来、東映京都を本拠地にしてきた加藤泰監督が初めて他者の松竹で撮った作品。時代劇を作り続けてきた中で野村芳太郎監督、山田洋次監督と交流を結んできたことで実現した映画とも聞く。当時、本物のやくざから俳優に転身した安藤昇を主演に据え、戦後の闇市を舞台にした日本人と戦争に買ったと誇る在日外国人との闘いを描き、のちの『阿片台地 地獄部隊突撃せよ』『懲役十八年』と並ぶ「戦中派三部作」と称される映画群の第一作。
 戦争帰りの町医者で、抗争を傍観している主人公がつぶやく「付いていくっていうのが好きだからな、日本人ってやつは」の言葉が忘れられない。
 その町医者とかつて霊愛関係にあった女を演じる女優が安藤昇の相手役ということで尻ごみが続き、なかなか決まらず、加藤監督によれば桜町弘子を希望したところ、本人も乗り気だったという。しかし、当時まだ厳然とあった五社協定にはばまれ、フリーの中原早苗に決まったいきさつがあったらしい。

29)阿片台地 地獄部隊突撃せよ(1966年、ゴールデンぷろ、配給=松竹)
 これも安藤昇主演の戦争物映画。しかし、これもようやく大阪・新世界の映画小屋で邂逅を果たした時、既に褪色、駒飛びの激しい上映フィルムで、おそらくジャンク寸前ではなかったか。従って、映画を愉しむというより、いつまた駒飛びが起こるか、そちらのほうが気になってハラハラした状態で観たため、印象は薄い。現在は名画座の安藤昇特集をきっかけでニユープリントの上映フィルムがあり、近くDVDも発売されるという。

30)懲役十八年(1967年、東映京都)
 戦後の闇市時代をともに過ごした友の裏切りと、その友に対する怒りが爆発する安藤昇主演の「戦中は三部作」の最後を飾る作品。加藤泰監督が常に映画で描き続けていた「許せぬ」がみなぎっており、その友の代わりに罪を背負って刑務所送りとなり、シャバに戻ってくると友は私腹を肥やして裏社会の顔役になっており、戦争未亡人の女は愛人となり、戦災被害の老女は騙されて自殺し、かつての恋人も悲劇に泣いて逸いる。
 加藤ワールドの映画では常に凛とした強い意思を持つヒロインだった桜町弘子の最後の加藤映画のヒロイン作品で、ここでは珍しく加藤監督が最も嫌っていたメソメソした女性を演じている。彼女は戦災を受け、病気の母親を抱えて戦争で生き残った弟とは生き別れの状態で、最後にようやく「私も強く生きていきます」と主人公に宣言するのだけれど。

31)虱は怖い(1944年、満州映画協会)
  剣 縄張<しま>(1967年、CAL・日本テレビ)

 『虱は怖い』は先の大戦中、かの地の満映で過ごした加藤泰監督の3本目の記録映画で、発疹チフス予防を啓発する映画だったという。当然、未見の作品で、江戸在住で大阪出身の友達によれば、東大阪市の公立図書館にビデオが所蔵されていうらしいが、いまだ確認には至っていない。

 『剣 縄張』は、加藤泰監督が残したたった一本のテレビ映画で、この一本でテレビの仕事は懲りて、以後、テレビとはシナリオだけの付き合いになっている。懲りた理由は予算もさることながら粘り屋の加藤監督には過密すぎるテレビ映画製作のハードスケジュールが体質には合わなかったという。
 剣にまつわるエピソードを描いたシリーズ物の時代劇で、数年前、NHKの衛星放送で流れたが、気がついた時には放送日が過ぎていたという、いまだ「永遠に幻の作品」となっている。
 
 
 
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