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2016-06-11

私家版加藤泰論への道10・遥か30年が流れて

幕末残酷物語 160609

 今月6月は、加藤泰監督が亡くなった月です。
 1985年6月17日が、その命日。

 この7月中旬から2カ月間、東京・国立近代美術館フィルムセンターで『生誕100年 映画監督 加藤泰』と題する大規模な回顧上映が予定されているそうです。長期にわたる催しで、しかも古今の映画の収蔵を旨としている国家機関の主催なので、加藤泰監督がフィルムに刻み続けた、どんな作品が並ぶのでしょうね。

 あの世に旅立って、もう36年も経っちゃった……

 加藤監督が体調がすぐれず、入院していたことも知らず、ある日の朝、朝日新聞の訃報記事を目にした時、ボクはしばらく動けませんでした。その訃報記事を何度も何度も読み返し、それでも信じられず、いや信じようとはしなかったかもしれません。

 ようやく驚愕の呪縛から開放されたボクは、すぐに映画に詳しい友達に電話をしました。訃報記事が本当かどうかを確認するためでした。やはり亡くなったという。それでも信じられず、もう一人の当時、映画館に勤務していた友達にも電話しました。しかし、電話口の向こうから聞こえてくる返事は「あれは誤報だった」というものではありません。
 そりゃそうですよね。天下の大新聞が、人の生き死に関わる記事を、そう粗略に報じるわけはないですよね。

 それから3カ月ほど経ってから、ボクは訳あって京都・洛西の加藤監督の自宅を訪ね、初めて書斎に安置された加藤監督の霊前にお参りすることができました。
 その折、未亡人から伺った一言が印象的でした。

 「でも、加藤もいい時に亡くなってよかったですよ」

 夫の死からしばらく時間が経った落ち着きが、そう言わせたのでしょうか。未亡人もかつてはスクリプターとして映画製作に関わっており、京都在住の映画関係者には知られた人で、そのせいか時々、加藤監督の代理で古い映画人の集まりに出席することもあったようで、そこに参会する映画人の顔ぶれは監督、脚本家など、もはや名ばかりで何年も前に現役を退き、それでも肩書きと名前は残っても、既に活躍しそうにない人が多いということでした。

 「それに比べれば、まだ加藤は現役でしたから……」

 確かに最後の作品となった『炎のごとく』(1981年、製作・大和新社、配給・東宝)から4年は経っていましたが、亨年68はいくら30数年以前でも、まだ引退する年齢ではなかったし、映画作品こそ途絶えていたものの、加藤監督のもうひとつの武器であるシナリオは書き続けていたし、次回作として井原西鶴物を原作とする映画作品も予定されていました。

 ボクにそんなことを語ってくれた未亡人も先般、あちらの世界へ旅立ってしまわれました。

 ウラ話としてーー

 加藤監督の遺体が自宅に戻った夜、駆け付けた妹たちの涙に暮れる姿に未亡人が嫌悪したことや後輩であり、盟友でもあった鈴木則文監督が酒に酔い、何度も「どうせ死ぬなら俺が背中を押してやりたかった」と繰り返していたこと、加藤映画には欠かせない脇役の任田順好が遺体に枕元を離れず泣き明かしたこと、そして後日、加藤映画のヒロイン桜町弘子が弔問に訪れ、お供えとして米を置いて帰り、「なぜ米を?」といまだに不思議でならないことなどを聞いたけれど、悔し涙に暮れた鈴木監督ももうこの世の人ではないし、任田順好も桜町弘子も銀幕からはや消えてしまいました。




 
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