2016-05-13

お姫さま女優の「あの空の果てに星はまたたく」

あの空の果てに星はまたたく160507

 かつて東映時代劇で活躍した丘さとみ主演の現代劇がCSで放送されたので、観てみました。
 日本が高度経済成長を果たす直前の1962年の製作(東映東京)で、脚本が新藤兼人、監督が戦後の左派映画の旗手だった関川秀雄でおます。

 同じ時期の子ども時代を送ったボクは、まさに子どものころ、この作品を観た記憶がおますが、当然のことながら映画のタイトルと主演女優が誰であったか以外、コロッと憶えとりまへん。瀬戸内海の小さな島に生まれ育った少女が、家族や恋人、女友達との関係で紆余曲折の末、力強く生きていこうとするお話でおました。

 丘さとみは東映ニューフェースとしてラジオ局勤務から女優に転身し、ニューfフェイス一期下の大川恵子、桜町弘子とともに「東映三人娘」として総天然色、ワイド画面を得て成長期にあった東映時代劇を彩った東映城のおねえちゃん。男性が主役の時代劇にあって、相手役としてお姫様や武家娘、町娘などさまざまな役柄で時代劇に色を添えていたのでおますが、三人娘の中でいち早く単なる型どおりの相手役から脱し,マキノ雅弘監督の『清水港の名物男・遠州森の石松』(1958年)の遊女・夕顔、内田吐夢監督の『大菩薩峠』三部作(1957~59年)の巡礼娘・お松や同じく内田監督の『宮本武蔵』五部作(1961~65年)の山の娘・朱実などで演技開眼したといわれております。
 
 「あの空の果てに星はまたたく」は、『裸の太陽』(1958年、監督・家城巳代治)、『素晴らしき娘たち』(1959年、監督・家城巳代治)に続く彼女の現代劇主演映画で、貧しくとも健気に生きる女の子という役柄は一貫しとります。

 だけれども・・・・・・・。


 この映画の主人公・早苗を演じるには、丘チン(丘さとみの愛称)、少々無理っぽかったぜというのが印象でおます。
 早苗は高校生で、働き場を求めて兄の三郎(千葉真一)が島を出て行った後、島と四国を結ぶ連絡船が島に接岸できないため、島と連絡船をつなぐ交通手段のため、また郵便物の輸送のため、小舟を操っていた父親(山形勲)が脳溢血で倒れ、早苗は高校を中退し、父親が請け負っていた仕事を継ぐことになります。
 晴れの日も雨の日も、かつて同じ高校に通っていた友達を舟で送り迎えし、郵便物の受け渡しを行い、自転車で島民のもとへ郵便物を配達する生活に明け暮れます。 
 早苗ちゃん、健気な娘でおます。ハイティーンで、都会に住んでいれば楽しい高校生活が送れたところ、貧しい島に生まれ、育ったため、病気に倒れた父親に代わり、生計を立てる身となり、「私も大阪へ行きたい」の一言に代表されるような島外での生活の希望を押し殺し、同級生のひとり(安城百合子=にちに由貴子)が結婚すればわがことのように喜び、中学を卒業後、島を出て島に残った祖母(五月藤江)や幼い弟妹の生活費を稼ぐため芸者になっていた友達(中原ひとみ)が病を得て島に帰り、やがて死んでいくとわがことのように涙を流してやまない娘でおます。

 こんな健気さを絵に描いたような純朴な娘さんを、丘さとみが演じているのでおますが……。
 この時期、丘さとみは時代劇のほうでは単なる娘役から脱し、マキノ雅弘監督の『港まつりに来た男』(1961年)に代表されるような大人の女を演じる女優に成長しており、この映画が製作された1962年には東映との専属契約を破棄し、活躍の場を広げるため、外の世界も視野に入れていたころでおます。
 年齢的にみても、この年、丘さとみは27歳。主人公の早苗が高校生で17歳としても、10歳もサバを読んだ役柄となります。かつて時代劇で天真爛漫な、活発で明るい娘役を演じていたころならいざ知らず、既に成熟した女の役をも演じるようになっていた丘さとみの高校生の年ごろの姿は……いくら素振り、口調に健気さを感じさせようとしていても、う~ん、丘チン、遅かったぜ、なのでおます。

 ちなみに、この映画で始終流れる劇伴のメロディーが、どこかで聴いたことのある音楽と思っていたら、それは佐久間良子主演の『湖の琴』(1966年、東映京都、監督=田坂具隆)の劇伴に似通っておりました。どちらも音楽担当が佐藤勝だったので、当然といえば当然のことでおますげどね。





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