2016-04-09

そういう時代だった「晩春」 

                       小津 160407

 先日、偶然観ることができた小津安二郎監督の『晩春』(1949年、松竹大船)。
 観るのは何年ぶりでおましたやろか。もう記憶にないくらいの昔になってしまっていたのですね。
 戦後の世相を織り込んだ『長屋紳士録』(1947年、松竹大船)で平和日本を出発させた小津が、のちによく知られるようになった小津ワールドを展開していくさきがけとなった作品でおますな。家族の平安が一転して別れ、孤独感、寂寞感を経て老いたる者は残された人生を甘受し、未来ある若い世代は家族との別れのさみしさから新たな生活へと再生してくというお話でおます。
 主人公の笠智衆も、娘を演じる原節子も、主人公の妹を演じる杉村春子も、娘の友人を演じる月丘夢路も、主人公の友人を演じる三島雅夫も、品のいい未亡人(この言葉、使っていいのかな?)を演じた三宅邦子も、それぞれボクの記憶にある通り、寸分違わぬ動き、表情を見せとります。演劇と異なり、映画やから当たり前のことで、何年経とうが、フィルムに刻まれた時のままの年齢で演技者たちは画面上に復活しとります。

 ところが!
 以前に観た時には気づかなかった、つまり、記憶には残らなかったシーンがおました。
 笠智衆が外出先から自宅へ戻ってきます。その時、彼は歩きたばこをくゆらせていたのでおますが、自宅前で短くなったたばこをポイと投げ捨て、たばこの火を消すこともなく、ポイ捨てしたまま当然のように自宅へ入ってゆきました。
 このシーンを見て、ボクはびっくらこんでおました。
 現在なら到底許されることではないたばこのポイ捨て。
 火がついたままのたばこは、それからどうなったのだろう、誰が吸い殻を掃除をするのだろうと、映画の内容とは全く別の時点でボクは心配になったのでおます。掃除は多分、翌朝、同居している原節子がするのだろうなと思いつつ・・・・・。
 たばこの害が喧伝されて以来、現在の日本映画、テレビドラマではたばこの出番はおません。アメリカあたりでは青少年への影響を考慮し、たばこが出てくる映画は青少年が自由に観ることができないようにする動きが活発化しているということでおますが、この
『晩春』が製作された当時の日本は、公衆の中でたばこを吸う行為は、ごくごく、当たり前の、誰も眉をしかめないことだったのでおますな。『晩春』当時でなくても、以後、長く映画やテレビドラマでたばこの出番は続き、今は病院や学校、企業内、電車内は言うに及ばず、レストランや喫茶店など、不特定多数が集まる場所での喫煙は禁止され、あるいは自粛を求められ、従って映画やテレビドラマでのたばこの出番も皆無になっております。
 
 ということは・・・・・・。
 当時はごくごく当たり前の行為だったたばこのポイ捨てを見てびっくらこんだったボクは、完全に往時の映画を現在の目で観ていたということになります。
 何も、そんなにびっくらこんすることもなのにさ。
 このシーンは現代の目から観ても、この作品の評価を貶めるというものではおませんが、映画は演劇と違って不便なものでおますな。一度、フィルムに刻まれたことは、その時代が要請する社会通念に合わせて変えることはできまへんものね。だからこそ、テレビで放映される多くの映画に「現在では時代にそぐわない言語、シーンもありますが、製作意図を尊重し、そのまま放送します」とか何とかの断わりのテロップが欠かせないのでおますやろね。




 
 
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