2014-12-17

お正月から時代劇だ~い

                         赤穂城141217
                          「赤穂城」から
 江戸在住のお友達が、年明け、国立近代美術館フィルムセンターで東映時代劇の歴史を総覧するような特集があると知らせてくれ、その上映スケジュールが発表されたので、ちょっと覗いてみました。そして、ちょっと失望でおます。
 フィルムセンターのことだから、きっと珍しい映画が上映されるだろうと期待していたのでおますが、東映設立直後からの貴重なモノクロ作品が含まれているだろうと思っていたところ、そのころの作品があまりにも少なく、やはり東映時代劇が日本映画界を席巻していたころの作品に重きを置いたスケジュールになっていました。
 「なんだかなぁ~」でおます。これじゃ、名画座の特集とさして変化ないじゃん、でおます。フィルムセンターだからこその、特徴がどこにあるねん? でおます。過度の期待は禁物でおますな。

▽赤穗城(1952年、監督・萩原遼、主演・片岡千恵蔵)
 GHQの束縛から解放された戦後の時代劇映画初の本格的忠臣蔵でおます。
▽續 赤穗城(1952年、監督・萩原遼、主演・片岡千恵蔵)
 「赤穂城」の続篇で、千恵蔵が大石内蔵助と浅野内匠頭の二役でマキノ時代の恨みを晴らしとります。
▽女間者秘聞 赤穗浪士(1953年、監督・佐々木康、主演・片岡千恵蔵)
 吉良方に潜入した赤穂方の女スパイの話で、演じているのは若き日の嵯峨美智子さんでおます。
▽新諸國物語 紅孔雀 第一篇 那智の小天狗(1954年、監督・萩原遼、主演・中村錦之助)
▽新諸國物語 紅孔雀 第二篇 呪の魔笛(1955年、監督・萩原遼、主演・中村錦之助)
▽新諸國物語 紅孔雀 第三篇 月の白骨城(同上)
▽新諸國物語 紅孔雀 第四篇 剣盲浮寝丸(同上)
▽新諸國物語 紅孔雀 完結篇 廃墟の秘宝(同上)
 大好評だった錦之助&東千代之介プラス大友柳太朗の「笛吹童子」シリーズに続く新諸国物語映画でおます。
▽歌舞伎十八番 鳴神 美女と怪龍(1955年、監督・吉村公三郎、主演・東千代之介)
 歌舞伎ネタの河原崎長十郎扮する鳴神上人の、涙ぐましいほどの怪龍スペクタル映画。
▽赤穗浪士 天の巻 地の巻(1956年、監督・松田定次、主演・市川右太衛門)
 脚本に新藤兼人を迎えたにもかかわらず、従来の忠臣蔵映画ながら東映式忠臣蔵映画の中で評価の高い一作。
▽大地の侍(1956年、監督・佐伯清、主演・大友柳太朗)
 東映京都製ではなく、東映東京製の時代劇で、北海道入植民たちの地味な作品。
▽任俠清水港(1957年、監督・松田定次、主演・片岡千恵蔵)
 千恵蔵扮する清水の次郎長映画のカラーオールスター版で、錦之助が森の石松役で頑張っとります。
▽鳳城の花嫁(1957年、監督・松田定次、主演・大友柳太朗)
 日本映画初の総天然色、シネマスコープ映画で、若殿の嫁探し騒動の肩の凝らない娯楽映画でおます。
▽水戸黄門(1957年、監督・佐々木康、主演・月形龍之介)
 月形龍之介の映画生活30周年記念映画のオールスター作品。
▽若さま侍捕物帖 鮮血の人魚(1957年、監督・深田金之助、主演・大川橋蔵)
 橋蔵若さま初の総天然色映画で、人魚が水槽で泳ぎまくる珍なる映画。
▽千両獅子(1958年、監督。内田吐夢、主演・市川右太衛門)
 東映時代劇の中で一線を画していた内田吐夢唯一の右太衛門映画で、さすがにチャンバラはしとりません。
▽ひばり捕物帖 かんざし小判(1958年、監督・沢島忠、主演・美空ひばり)
 時代劇のヌーベルバーグといわれた沢島忠がひばりと組んだミュージカル映画で、若さが暴走しとります。
▽花笠若衆(1958年、監督・佐伯清、主演・美空ひばり)
 撮影所中の照明ライトを持ってきたかのような、初期のカラー映画特有のライトがいっぱいのひばり映画でおます。
▽旗本退屈男(1958年、監督・松田定次、主演・市川右太衛門)
 右太衛門の映画出演300本記念映画のオールスター作品で、松田定次の交通整理ぶりは見事というしかおません。
▽快傑黒頭巾(1958年、監督・松村昌治、主演・大友柳太朗)
 黒頭巾シリーズ初のワイド、カラー映画で、まさにお祭り騒ぎのような作品。
▽一心太助 天下の一大事(1958年、監督・沢島忠、主演・中村錦之助)
 登場人物の全員が走っているかのような印象のある、けたたましい沢島映画の代表作でおますな。
▽旗本退屈男 謎の南蛮太鼓(1958年、監督・佐々木康。主演・市川右太衛門)
 退屈男シリーズでも推理派の松田定次と対極をなす佐々木康の前作「謎の蛇姫屋敷」に続くレビュー映画。
▽右門捕物帖 片眼の狼(1959年、監督・沢島忠、主演・大友柳太朗)
 沢島忠はここでも走っており、そのけたたましさは右門の手下・おしゃべり伝六役の堺駿二が体現しとります。
▽たつまき奉行(1959年、監督・マキノ雅弘、主演・片岡千恵蔵)
 マキノ雅弘の遠山の金さん物で、佐久間良子が悲劇に見舞われ、泣いとります。
▽新吾十番勝負 第一部 第二部 総集版(1959年、監督・松田定次、小沢茂弘、主演・大川橋蔵)
 橋蔵の代表シリーズの一・二部総集版映画で、個々の作品はこれを機にネガはジャンクされたと聞いとります。
▽お役者文七捕物暦 蜘蛛の巣屋敷(1959年、監督・沢島忠、主演・中村錦之助)
 歌舞伎役者の家に生まれた錦之助が生家のトラブルに立ち上がる話で、実父・中村時蔵の女暫が観られる貴重な一作。
▽風流使者 天下無双の剣(1959年、監督・松田定次、主演・市川右太衛門)
 仇役の月形龍之介の老武士が圧倒的な演技を見せているセミオールスター映画でおます。
▽水戸黄門 天下の副将軍(1959年、監督・松田定次、主演・月形龍之介)
 大河内傳次郎が三枚目的な役柄で柔軟な演技を見せているセミオールスター映画。
▽江戸っ子判官とふり袖小僧(1959年、監督・沢島忠、主演・片岡千恵蔵)
 千恵蔵の遠山の金さんとひばりの泥棒が旅先で仲良くなるマキノ雅弘映画のリメイク作品。
▽風雲児 織田信長(1959年、監督・河野寿一、主演・中村錦之助)
 トントントンと小気味よく話が進む戦国物で、「紅顔の若武者 織田信長」の再映画化で、錦之助は2度目の信長役。
▽任俠中仙道(1960年、監督・松田定次、主演・片岡千恵蔵)
 次郎長に千恵蔵、国定忠治の右太衛門を筆頭にしたオールスター映画。
▽御存じ いれずみ判官(1960年、監督・佐々木康、主演・片岡千恵蔵)
  千恵蔵の遠山の金さんの一作で、いつもは悪役の原健策が意外や意外の役どころで変化を持たせとります。
▽暴れん坊兄弟(1960年、監督・沢島忠、主演・東千代之介)
 山本周五郎の原作を得てのんびり者の兄、千代之介と慌て者の弟、中村加津雄(当時)が藩の不正に暴れまくる作品。
▽嫁さがし千両勝負(1960年、監督・小沢茂弘、主演・東千代之介)
 千代之介のキャラクターを生かした明朗時代劇。でも、千代之介はほかのスターたちと比べて地味目。
▽海賊八幡船(ばはんせん)(1960年、監督・沢島忠、主演・大川橋蔵)
 海を舞台にした大スペクタル映画でおますが、ここでも橋蔵映画の貴種流離譚は採り入れられとります。
▽天竜母恋い笠(1960年、監督・工藤栄一、主演・美空ひばり)
 ひばりの男装を生かしたやくざ物で、工藤栄一はこの後、ひばりの指名を受けて「魚河岸の女石松」(1961年)へ。
▽八荒流騎隊(1961年、監督・工藤栄一、主演・市川右太衛門)
 右太衛門映画ながらモノクロ作品で、今では絶対無理な馬が何頭も疾走する映画でおます。
▽権九郎旅日記(1961年、監督・工藤栄一、主演・市川右太衛門)
 森繁久弥の主演作(1953年)の再映画化で、珍しく右太衛門が踏んだり蹴ったりの侍役を演じる映画でおます。
▽赤い影法師(1961年、監督・小沢茂弘、主演・大川橋蔵)
 寛永の御前試合を舞台に暗躍する忍者の若者が隠された出生の秘密を探っていくお話でおます。









 

 東映時代劇は、おおざっぱに前期と後期の2つにその流れが分類される。
 戦後、アメリカGHQの日本の民主化政策のあおりで時代劇映画の製作が困難になった日本映画各社が自由に時代劇を製作できるよようになるには1952年のサンフランシスコ講和条約の発効待たねならなかったが、やがてその時節が到来した時、登場したのが忠臣蔵映画だった。製作したのは戦後生まれで、本格的スタートを切ってまだ1年目の東映。作品は片岡千恵蔵が大石内蔵助と浅野内匠頭の二役を演じた 「赤穂城」。変則的な忠臣蔵映画は別にして、これが戦後初めて誕生した、GHQが封じていた仇討ちを肯定した忠臣蔵映画といえる。

 以後、経営状態に苦しんでいた東映は時代劇製作にまい進し、戦前からの時代劇スター、戦前からの監督、脚本家ほか撮影スタッ フを擁し、東映の時代劇映画隆盛の礎を築いていくことになる。
 個人的見解だが、まだ画面のワイド化を知らず、カラー化さえ知らず、モノクロ、スタンダード画面でしかなかった東映時代劇が面白かったのは、このころの作品といえる。今、見なおしても、後続する時代劇群にけっしてヒケを取っていない。

 後期の始まりは 1957年。すでにスタンダード画面ながらカラー化を経験していた東映時代劇がきらびやかに輝くのはワイド画面を獲得してからのことで、当時の惹句「画面百倍、興味百倍」がそれを如実に表現している。そして、それを盛りたてたのが第二世代のスターたち。中村錦之助、大川橋蔵に代表され、これに戦前からの片岡千恵蔵、市川右太衛門、大友柳太朗に加え、紅一点の美空ひばりたちが総天然色、ワイドスクリーンの中で活躍し、一挙に東映時代劇はお祭り化していく。
 前期の作品とは異なり、質よりも量産が最重要課題となり、時代劇のヌーベルバーグといわれた戦後育ちの沢島忠監督のような映画 は例外的で、当時の東映社長が豪語したという「日本映画のもうけの半分はうちがいただく」の言葉通り、お祭りの賑やかさにふさわしいように俳優陣、スタッフを数多く抱え、オープンセットにロケに行かなくても済むようにオープンセットに東映城と称する城門を構え、お祭りのような時代劇で興行収入の上位を占めていく。ちなみに、このころの東映時代劇には映画のどこかに文字通り、祭りシーンが登場しているが、オープンセットの隅々にまでエキストラを配置し、それをモブシーンで捉えたショットを観るたびに、あれは当時の日本映画の隆盛を誇示していると同時に、アメリカ映画のような大掛かりなモブシーンには及ばなくても、それ なりの日本映画の投資ではなかった だろうか。

 やがて、お祭りにも終焉の時が来る。第二系統の第二東映(のちにニュー東映)を誕生させ、かつて日本映画界を独走した観があるほどの人気を誇っていた東映時代劇の凋落の時代を迎える。人はよく「用心棒」や「椿三十郎」など黒澤明の時代劇の台頭を挙げるが、凋落の原因は果たしてそれだけなのか。
 戦後育ちの錦之助、橋蔵、ひばりなどの映画を支えたファン層の成長もあったのではないか。言葉は悪いが、ミーハーいつまでもミーハーではない。彼らも成長し、小学生が中学生に、中学生が、高校生になり、やがて社会人に成長していく過程で、かつて熱狂していた時代劇に物足りなくなったのではないか。その物足 りなさが黒澤映画のような、お祭りではない映画に目を向けてしまったということも過言ではない。

 加えて、世の中の経済情勢の変化も挙げられる。戦後の立ち直りの時代を経て、高度経済成長の中で、1964年の東京オリンピックの開催を目前にしたころ、東映時代劇の転落が時代を同じくしている。戦前の「産めよ増やせよ」の標語ではないが、高度経済成長にまい進する大人たちに家族そろって映画を娯しむという時間的ゆとりがなくなったからではないのか。
 しかし、東映時代劇は依然、お祭り状態のまま。さすがに錦之助、橋蔵の若手はお祭りではない時代劇を試みていたが、このころの右太衛 門映画がお祭り状態のままの代表例といえる。リサーリできてなかったんだね、右太さん。

 そんな中で、黒澤時代劇に対抗すべく、ノースター映画の集団時代劇の作品群が登場するが、応急手当ても応急手当てにはならず、東映時代劇は人気をうしない、やがて、任侠映画の台頭に主役のバトンを渡すことになる。錦之助は東映を出て個人プロダクションを設立し、あくまで時代劇俳優に固執。ひばりは元の歌の世界に戻り、「女王」と呼ばれるようになる。千恵蔵、右太衛門らは退社宣 言を受け、千恵蔵は重役としての肩書を残しつつ、映画に重きを置く脇役になり、右太衛門はまさに東京オリンプック開催の直前、モノクロ時代劇(「忍び大名」)を最後に東映とは決別する。戦前からの監督も同様で、かつては「天皇」といわれていた松田定次も東映を退社し、テレビ時代劇を京都映画で撮ったり、劇場用の「めくらのお市」シリーズ(2本)を撮ったりした後、伊豆へ隠棲。松竹からヘッドハンティングされ、セミオールスター時代劇には欠かせなかった佐々木康はテレビの時代劇に活路を見いだし、お祭りのような時代劇の量産体制を支えた内出好吉、河野寿一、松村昌治などの監督たちもテレビ時代劇に流れ込んでいく。
 ただ一人、橋蔵はテレビに着目、家庭の主婦になっているだろう、かつての自分のファンの女性たちを意識し、「銭形平次」の長期シリーズ化に成功し、テレビに活路を見いだした時代劇スターのはしりとなっていく。
                       永遠に来ない近拙著「チャンバラ!」粗論より抜き書き

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