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2014-11-05

極東映画なんて知らないよ~~

                     チャンバラ王国極東141105

 かつてボクが勤務していた専門紙の会社で、1930年代の日本映画界に存在した極東映画(のちに極東キネマ)で監督を務めていた人と編集部の机を並べていたことに興味を持ったらしい江戸在住のお友達が、「この人かぁ~?」とわざわざ近所の図書館で極東映画の写真集のインタビュー記事の部分をコピーして送ってくれました。
 この写真集は今も大きな書店の映画書コーナーに多くの書籍に挟まれながら並んでいるはずで、発売時、買ってはいないけれどボクも立ち読みしたことがあります。そして、その中でボクが出会った元映画監督がインタビューを受けている記事を目にしてびっくりしたものでおます。
 同じころ、お友達も写真集を書店で見かけ、購入していたそうでおますが、その後、雑多な映画関係のコレクションにまぎれて手元にはなかったので、それでわざわざ図書館でコピーしてくれたそうでおます。
 ところが、先日!
 久しぶりに自室の掃除をしたら「出てきたぁ~!」と、お友達から画像付きのメールがおました。その送ってくれた画像が上掲の写真で、その画像をわがしょぼブログに拝借しました。



 その監督の名前は末崎精二さん。
 勤務していた会社で出会ったころ、末崎さんは当時のボクから見れば既におじいちゃんで、そりゃそうですよね、映画監督として活躍していたころから優に50年は経過していたのでおますから。おじいちゃんとはいえ、会社勤めができるくらいですから、老いたりとはいえカクシャクとした高齢者でおました。多分、嘱託として勤務していたのでおますやろね。 
 お友達さんがしばしば送ってくれるお江戸の名画座のチラシを見ると、最近の催しで末崎さんの監督作品ではないけれど極東映画の時代劇作品が上映されたそうで、末崎さんと出会ったころのボクは極東映画の作品を観たことはおませんでした。それは今も同じで、かつて一度も極東映画の作品を観たことはおません。

 従って、そのころは極東映画について一方的にボクは聞かされるだけで、多分、そのころの末崎さんはボクが映画好きのにいちゃんと知り、思い出話に花を咲かせていたのでしょうが、極東映画を観たことのないボクはチンプンカンプン。もし、ボクが映画史に興味を持っているにいちゃんだったら根堀葉折り聞いていたと思います。末崎さんの思い出話の多くはもう忘れてしましたが、ある時、何かの折に「勤め人根性に陥ったら駄目だ」という一言を聞いた時、「この人も反骨の人生を送ってきたのでは・・・・・・」と、末崎さんの過ごしてきた過去を彷彿したものでおます。

 極東映画は、その後、数年で東宝系の映画会社として統合されたそうで、末崎さんは映画監督ののち、傍系の大阪・梅田の劇場で舞台の演出をするようになり、日本が太平洋戦争に突入するとニュース映画の製作に従事したそうでおます。戦争中、映画関係者の身分証でもあった映画手帳を見せられたこともおます。それはもうボロボロになったポケットサイズの手帳で、その手帳こそが、末崎さんにとって映画人であったことを示すよすがだったのでおますんやろね。
 戦後はどういう経緯で、その業界の編集者になったのか、それはわかりまへん。後から入社したボクより当然、その業界には詳しかったので、編集者としてのそれなりの年月を重ねていたと推察するだけでおます。

 極東映画のスチールを写真集で見てみると、写真集のタイトルにもあるようにチャンバラ映画ばっか。
 作品自体をボクは観たことはないけれど、スチールから推察するに戦後の大蔵貢社長時代の新東宝の時代劇を思わせるようでおます。ほかの日本映画各社がサイレント映画時代を経てトーキー時代を迎えつつあった中で、極東映画は資金の関係からか、連発するチャンバラ映画は依然サイレントのままでおます。客層は大蔵新東宝が目指したのと同様、ブルーカラー族だったようで、インタビュー記事でも末崎さんもそう証言してはります。
 末崎さんの思い出話の中で、ボクが実感できたのは青柳竜太郎、関根永二郎といった俳優の名前が出てきた時でおます。なぜなら、ボクがまだほんのガキだったころに観ていた東映時代劇の中で彼らが脇役として登場していたおっちゃんたちであったからでおます。

 今、振り返れば惜しいことをしたなと思います。
 せっかく日常的にかつての映画監督と顔を合わせていたのに、そのころのボクが映画史にも興味を持っていたら、観たことはない映画ではあっても、即席インタビュアーとして記録に採っておけたものを、もう末崎さんと出会ったころも既に過去のかなたでおます。
 その後、勤務していた会社が倒産し、末崎さんと顔を合わせることもなくなり、数年、年賀状のやり取りは続いていたのでおますが、自作映画が発掘され、大学生たちの協力により数分間の自作映画の復元を実施したとか。それが在社中に耳にしていた記録映画の製作の話があると聞いていたことにつながったのだろうと想像しています。
 写真集のインタビュー時はまだ健在だったようでおます。
 今もなお健在かどうか・・・・・・。



 
 

 
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映画史なんて、えてしてそういうもので、証言者が身近に居ても、その場は何となく聞き流してしまうものです。私も、松竹大船の録音技師の人と懇意で、木下恵介や黒澤明の録音現場の話とかを聞きましたが、ついに体系的に聞くことはありませんでした。それから約20年、そういった世代の方の多くは鬼籍に入りました。そして、その後の世代は、先のブログのように、早逝することが多いようです。かといって、話をきけたとしても、その裏付けが必要で、この写真集のインタビューは単なる思い出話の域を出ていないような気がします。ホントに難しいです。
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