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2013-12-16

ガキが小津映画を観てもねぇ・・・

              彼岸花120701

 小津安二郎監督は誕生日と命日が同じ日という稀有の人でおます。
 まるで生まれて以来、プラスマイナスの帳尻をきっちり合わせて、この世からオサラバしたみたい。
 その誕生日&命日に当たる今月12日、NHK衛星で、またもやの小津映画を回顧する番組「小津安二郎没後50年 映画に仕掛けられた謎」が放送され、「どんなんかな?」と思って観てみましたが、小津を回顧する語り部もめっきり減ってしまいましたな。
 そりゃそうですよね、小津さんがあの世に旅立って半世紀。生まれたばかりの赤ん坊でも50歳を迎えているのだから、当時、小津映画に関わった多くのスタッフや俳優が自らの人生の幕引きを終えていても不思議ではおません。
 で、登場した女優が「東京物語」(1953年)ただ1本の出演作を残す、監督キラーと言われた香川京子、「秋日和」(1960年)や「小早川家の秋」(1962年)で小津型娘役を演じた司葉子、「秋日和」や小津の最終作「秋刀魚の味」(1963年)でコメディーリリーフ的な女性を演じた岡田茉莉子でおます。
 それぞれが撮影時のエピソードを振り返っておりますが、面白かったのは岡田茉莉子の旦那の吉田喜重と岩下志麻の旦那、篠田正浩も小津映画を語っていたことでおます。
 この2人、当時の松竹ヌーベルバーグ監督と言われたひとりで、ヌーベルバーグ派の監督といえば、事件らしい事件が何も起こらない、家族の話ばかりのいつも変わらぬ小津調スタイルに当時は批判的な眼差しを送っていたといわれとります。酒席で小津本人の前で批判を披歴し、小津と口論した若き監督もいたと伝えられとります。
 半世紀が経ち、それぞれに人生経験を積むと、見方も変わってくるものでおますな。この2人が当時、小津調作風に批判的だったかどうかは分かりませんが、小津映画に仕掛けられた謎、小津が映画で語りたかったことなどを的確に見つめとります。かつてのヤンチャ坊主もオヤジ世代になって、自分のオヤジの言いたかったことを理解できる年齢になったというのが番組の面白さでおました。
 殺人も恋愛も何も起こらない、市井の人々の生活を描くことこそ小津映画であり、すべてをさらけ出さないことが仕掛けた謎だと語っとります。



 ボクが初めての小津映画となる「彼岸花」(1958年)観たのは、まだ小学生のガキのころでおました。
 会場は映画小屋ではおません。夜の帳も降りた神社の境内でおます。昔、よくあった巡回上映というヤツでおます。そのころ、ボクが住んでいた町には映画小屋が2館もあったのに、なぜわざわざ巡回上映があったのか、どこの主催で何の催しだったのか、さっぱり記憶におません。ばかりか、その時に観た「彼岸花」というタイトルすら覚えていなかったのでおます。
 映画そのものには幼稚園へ行く以前から接しており、記憶に残る映画のタイトルくらいは頭の隅に残しておくほうでおますが、初めての小津映画のタイトルも覚えていなかったということは、ガキには退屈でよほど面白くなかった映画なんでおましたのやろね。

 だから、この時の映画が「彼岸花」であったと言えることは、のちの再見した時に判明したことでおます。
 巡回上映から、およそ6年以上も経ってから、僕はこの映画と再会します。
 その時、僕は高校生になっており、学校の視聴覚教育の一環として「彼岸花」が上映されたのでおますが、その時も観た会場は映画小屋ではなく、学校の教室でおました。映画好きの担任が16㍉フィルムを借りてきて、狭い教室の、映写機がガラガラ回る中で観たのでおます。16㍉フィルムを映写するのでおますからスクリーンは黒板大の大きさでおます。
 今ならDVDでテレビ画面で観るという手軽さでおますが、家庭用のビデオテープさえまだなかった時代でおます。
 担任が上映前に縷々、これから観る映画のみどころなどを解説してくれたのでおますが、いかんせん、小津安二郎という名前すら知らなかったガキのころでおます。
 さほどのノリ気もなく、退屈な授業に代わり、映画を観られるということだけで観賞会に参加していたのでおますが、映画が進むうちに「あっ、これ、昔、観たことがある」となったのでおます。
 長女役の有馬稲子の結婚を巡り、娘と父親の佐分利信の仲がギクシャクした末、娘の結婚の前に母親の田中絹代や二女の桑野みゆきも加わり、一家で箱根に遊びに行くシーンがおます。
 その時、娘たちの乗ったボートが見える湖畔の簡易ベンチ(背もたれの裏に森永チョコレートの宣伝がおました)に腰掛けた両親が話をするカットがおます。
 そのカットに差しかかった途端、「あっ、これ、昔、観たことがある」なのでおました。

 こうして「彼岸花」をかつて観ていたことの記憶が修正されたのでおます。ただし、ボクの記憶の中では有馬稲子も桑野みゆきも、山本富士子も久我美子もぶっ飛んでいたのでおますけどね。かすかに覚えていたのは佐分利信、田中絹代というおっちゃん、おばちゃんだけだったとは!
 さらに、ただし、でおます。
 この時、再び観ることになった「彼岸花」はどうだったのか。小学生だったころよりはストーリーもわかったし、最後まで目をそらすことなく映画とお付き合いでいましたが、理解できたかどうかになると、ボクはまだまだガキでおました。
 それからさらに数年後、ボクは「彼岸花」と3度目の出会いを果たします。
 その時、ボクは20歳、大学生になっとりました。
 三度(みたび)の出会いで初めて映画小屋で観ることになったのでおますが、皮肉なことに、その映画小屋の最後の上映でおました。しかし、小津映画に注目するようになったとっかかりの映画でおます。
 大阪・難波の高島屋横にあったなんばロキシーの閉館記念の特集上映で、併映作品は「東京物語」でおました。





 
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