2013-04-21

今ふたたびの「東京物語」の世界

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 何年ぶりかで、小津安二郎監督の「東京物語」(松竹、1953年)を観ました。
 世界的に評価の高い、この大名作を今さらボクごときが云々する気は毛頭おませんが、この作品を初めて観たのは大学3年初期の、まだほんのガキのころでおました。

 観た小屋は大阪・難波の高島屋隣にあった『なんばロキシー』でおます。隣にあったというより、高島屋と同じ大きな建物に併設されていたというほうがよろしおまんな。持ち主の南海電鉄の周辺再開発により、ここにあった『なんばロキシー』が階上の『なんば大劇場』とともに閉館することになりました。閉館は再開発が表向きの理由でおますが、そのころ、映画興行界は映画観客の激減にあえいでおり、この2館も同様で、「もう捨ててもええころやろなぁ」と判断されたのでおますやろね。
 その閉館のラストショーで上映されたのが「東京物語」で、併映は同じ小津監督の初の総天然色作品「彼岸花」(松竹、1958年)でおました。ちなみに、『なんば大劇場』のほうのラストショーが何であったのか、行ってないので憶えとりまへん。

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 その後、同じ年のうちに今度は16㍉映画の上映で再会したのでおますが、その時、「もう、この映画は観られない」と思い、観る機会があっても長く避けておりました。そして、ようやく自分に観ることを許してン十年ぶりに再々会した時、月日は流れ流れて世の中は21世紀になっていました。もちろん、その時は劇場で観たわけで、先日、観たのはビデオ(DVDやおません)でおましたけどね。
 長く封印していたのは、なぜか?
 恐かったんでおますな、映画に登場する老夫婦(笠智衆、東山千栄子)が子どもたちに冷たくあしらあれる不幸を再び目にするのが。
 ボクも、心優しき子どもでおました^^





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 何度、この作品を観ても、妻に先立たれた笠智衆が再婚を考え、末娘の香川京子の潔癖さを傷つけるわけでもなく、葬儀の後、しばらく尾道に滞在していた二男の妻の原節子が「お父さんとずっと暮らしていきたい」などと言うわけやおません。
 フィルムに刻まれたドラマは何年経っても寸分違わぬ展開を見せているのに反し、その映画を受け取る側は何度か繰り返し観ているうちに年齢や生活環境、その時々の思いなどにより、受け取る感慨は変化するものでおます。
 さしずめ、この「東京物語」は好見本のような作品でおます。

 かつて、ガキのころにこの作品を観ることを封印してしまったのは「かわいそう」という主観のただ一点でおました。冒頭、小学生が遠足の準備をしているかのように、いそいそと老夫婦が東京への旅支度をし、ようやく到着した東京では言葉には出さねど、ことごとく期待を裏切られ、その先にあったのは夫婦の別れやったなんて、かわいそうではおませんか。
 つまりはガキには、成長して家庭を営んでいる子どもたちには、それぞれ両親とは違った生活、環境を抱えているという視点が抜け落ちていたのでおますな。ちょうど、末娘の香川京子が精進落としの席であれこれ形見がほしいと注文をつけ、さっさと帰ってしまった姉の杉村春子の態度に憤り、「とても悲しゅうなったわ」と漏らすのに似てますな。
 「仕方ないことよ。みんな、そうなっていくのよ」と義理の姉の原節子が諭す言葉は未熟な若さゆえに考えられない、もうひとつの視点でおます。

 小津さん、憎いねぇ。
 初めて観た時はガキだった奴が年を経て、再び観ると「納得、納得」と思わせるんだから。
 久しぶりに子どもたちに会うため、東京へ出てきた老夫婦の落胆ぶりは、なるほど「もうちょっと面倒見たれよ」と思うものの、「かわいそう」を突き抜けた厳しい現実を感じさせ、町医者の長男の山村聡が急患のため、両親を遊びに連れていかれなくなったことや美容院を営む長女の杉村春子が講習会のために厄介払いするように両親を熱海旅行に追いやることも、これまた厳しい現実なんでおますな。
 そして、死んだ二男の未亡人の原節子だけが両親に優しく接するというのも、「気のおけない仲」ではないがための当然の遇し方という現実でおます。


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