--------

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2013-03-22

息子と恋人の「東京家族」

              東京家族

 小津安二郎監督の「東京物語」(1953年、松竹)を下敷きにしたとされる山田洋次監督の「東京家族」(2013年、「東京家族」製作委員会、配給=松竹)が、全国主要都市での公開を終えて田舎のシネマコンプレックスに回ってきたので、はからずも観ることができました。
 映画のラストに『この作品を小津安二郎監督に捧ぐ』と白抜きの縦タイトルが出て、映画のストーリーの骨格、登場人物の名前、関係などから明らかに「東京物語」を下敷きにしており、いや、むしろ、一部、人物の設定を変えてはいるものの、リメイク作品といってもよろしおますやろね。

 そこで……
 小津映画の最高傑作とされている作品のリメイクのためか、はたまた観るほうがそう意識してしまってスクリーンを見つめたためか、山田洋次さん、クソ真面目なんでおますな。
 映画の随所に時たま見られる、人物がワンショットに収まった時の相似形になるような構図、バストサイズで捉えられた人物の話相手をみている、すなわちカメラを見ている視線、その話相手との切り返しのショット、長男一家の家庭内に見られるように画面奥に台所があり、真ん中を廊下が通っていて、その途中の右側に二階へ通じる階段がある配置、それをワンショットに収めたローアングルのカメラ位置、人物が右から左へ、あるいは、その逆に画面を横切る時、必ず、画面の両側には壁やドアがある造り、もしくは長女の美容院前の一段高いところにある通りの造り、「東京物語」で聞き覚えのある似たようなセリフなどなど、そんなに小津映画を彷彿させんでもええんやないの、の意識っぷりでおます。

 しかし……
 さすがは、今や、日本映画界の最高齢の域に達した山田洋次さんでおます。
 これらは、すべて映画の商売上の意識した演出なんでおますな。大先輩の不朽の名作とされる映画のリメイクなんやから、思いきって前作をしのばせるシーンの構図やセリフ、役名を入れてやれと思ったのかどうか、それは営業政策の意図的な演出で、その実、山田洋次の本当の意図はもっとほかにあったのではないかと思わせたのでおます。
 それを象徴しているのが、年老いた周吉、とみこの夫婦(橋爪功、吉行和子)の二男昌次(妻夫木聡)とその恋人紀子(蒼井優)の存在でおました。




 

 



              東京家族2

 昌次は東京で小さなアパートに住み、舞台の大道具の仕事をしてはります。紀子は、昌次が住んでいるところから駅ふたつ離れたところで書店の店員をしています。
 この2人、山田洋次好みの若い男女なんでおますな。まるで「男はつらいよ」シリーズのさくらと博でおます。あるいは隣の印刷工場で働く青年と近所の食堂の店員のような、東京に出てきて勤労に励むイモにいちゃん、イモねえちゃんの類でおます。寅次郎がよく「労働者諸君!」と揶揄していた人たちに属するような、まさに山田洋次世界の男女でおます。

 昌次は小さいころから兄や姉と違い、いつも親をハラハラさせており、今もって老いた親たちの頭痛のタネでおます。教員をしていた真面目な父親にいつも叱られてばかりいた昌次は、父親の存在が窮屈なため、高校を出ると逃げるように東京へ出てきております。
 長男は都内近郊で小さな医院を営み、妻(夏川結衣)と息子2人の家庭を持ち、美容院を営む長女(中嶋朋子)は子どもはないものの、夫(林家正蔵)との2人暮らしで、ともに独立して生活しているため、夫婦の心配はおません。しかし、昌次は職業柄、収入は安定しておらず、廃車にしてもいいような小さなイタ車を乗り回して、いまだに家庭を持つ様子もおません。親にとっての安心は、子どもが結婚して家庭を持ち、人並みに生活することで、親にすればそうですわな。

 年老いた親が瀬戸内海の小島から東京へ出てきたのも、久しぶりに息子や娘、長男の子どもたちの顔を見るためでおますが、もうひとつは頭痛のタネの二男の様子も見るのも目的で、案の定、今の生活ぶりや将来のことを尋ねる父親に対し、昌次は煙たがり、父と息子の仲はギクシャクしてしまいます。
 そんな息子の狭いアパートに一泊することになった母親は、息子が結婚してもいいと思っている相手がおり、その相手の紀子にも会って、親が心配するより子どもはしっかり将来のことを考えていることに、すっかり安心してしまいます。

 やがて、母親が長男の家で倒れて(脳卒中?)亡くなり、故郷で葬儀を営むため、父親、兄夫婦、姉とともに昌次も紀子を連れて瀬戸内海の小島に帰ります。しかし、紀子にとっても昌次の父親は昌次から聞いていた通り、今ひとつなじめません。母親が倒れて入院した時にも紀子は昌次に案内されて病室を訪れ、父親とも顔を合わせているのですが、父親は紀子の存在は意識していないようでおます。
 葬儀が一段落し、兄夫婦や姉が慌ただしく帰京した後も数日、紀子は昌次とともに島にとどまり、父親の世話をするのでおますが、そこで初めて紀子は父親と2人で話をすることになり、父親から「くれぐれも昌次のことを頼む」と息子を託され、母親の形見の腕時計を譲り受けます。

 長々とスト-リーを記しましたが、ラストの本土へ渡る連絡船の中の昌次と紀子に至るまでの映画の後半を観ていて、山田洋次が大先輩の映画のリメイク作品に託した彼自身の意図は、これからを生きていく希望に満ちた若い昌次と紀子の姿だと思ったからでおます。
 人生の終盤を迎えた父親でもない、まして、家庭を持った兄や姉でもない、まだ前途多難かもしれない若い男女の希望に触れることこそが、この映画の救いになっているのではないかと感じたのでおます。
 連絡船上の将来に向かって生きようとする昌次と紀子の姿を見せることで、山田洋次は「俺は小津先輩とは違うのさ」と言っているようであり、それこそがリメイクのリメイクし甲斐を披歴しているようでもおます。

 ちなみに、老夫婦が仕事や町内の付き合いで忙しい長女の計らいで、横浜のみなとみらいの夜景が見えるホテルに泊まるシーンが出てきます。
 そのホテルの部屋の窓から目の前に観覧車の大きな夜景を見ることができるのでおますが、夫の周吉が妻のとみこと結婚する前、ふたりで観た映画を思い出すセリフが出てきます。地元の映画館で観た映画というのが、キャロル・リード監督の「第三の男」であったそうな。観覧車ゆえの思い出でおますやろね。
 しかし、ここは「東京物語」と言ってほしかった……
 そうギャグってこそ、面白さも増すと思うのでおますが、ひとえにクソ真面目なこの映画では、そんなギャグを飛ばすのは……不謹慎でしょうなぁ。

              
関連記事

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

青山彰吾

Author:青山彰吾
 日本映画を中心にしたコーナーです。
 ただし、取り上げる映画は偏っています^^
 
 

最近はこんなんです^^
ゲストのひと言
テーマ紹介
FC2カウンター
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

在庫の記事
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。