2012-12-04

最初から橋蔵と結ばれない「大江戸喧嘩纏」

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                大川橋蔵(左)と松原千浪

 大川橋蔵が、郡上八幡の将来を嘱望された若侍ながら、あるもめごとで同僚を斬ってしまったため、江戸に出奔、町火消しの纏持ちに転身する若者に扮した時代劇「大江戸喧嘩纏」は、1957年の東映京都の正月作品でおます。原作・沙羅双樹、脚本・松浦健郎、監督・佐伯清の、日本映画がシネマスコープ画面を採用する直前のモノクロ、スタンダード映画でおます。

 この年、橋蔵は映画界進出を果たして3年目、東千代之介、中村錦之助に続く東映時代劇の若手第三のエースとして登場してはりました。1950年代末期でおますが、元号でいえば昭和32年。前半が戦争時代であった20年代がようやく過ぎ去り、片岡千恵蔵、市川右太衛門、大友柳太朗などの戦前派スターで支えられていた東映時代劇にも戦後派スターの出番が盛んになってきたころでおます。

 とはいえ、この作品の本当の主演は当時、既に人気スターの地位をキープしていた美空ひばりでおます。 こちらは、橋蔵が寄宿する町火消しの家に生まれたお嬢ちゃんの役どころでおます。火消しの娘と、そこに飛び込んできた若者のお話となると、あとはもうよくあるストーリーでおますな。

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                美空ひばり

 橋蔵の映画デビュー作「笛吹若武者」(1955年、監督=佐々木康)で共演して以来、「大江戸喧嘩纏」まで、ひばりは橋蔵との共演作を数本残しとりますが、このころのひばりは自分の主演映画の体裁を取りながらも橋蔵以外に千代之介、錦之助、それから市川雷蔵など年齢は自分より上であっても映画界では後輩に当たる若手スターの引き立て役のような役割を担っておりました。
 いわば、お姉ちゃんが弟の手を引いて銀幕の世界を泳いでいたわけでおますな。

 余談ながら、昭和の終焉を象徴するかのように、ひばりが早々とあちらの世界に引っ越する(1989年)直前、松竹映画のひばり出演作を中心に「美空ひばりフェア」が数回、開かれたことがおました。
 その中で取り上げられていた1本が、この「大江戸喧嘩纏」でおます。上映プリントは、もちろんニュープリントではおません。長らく倉庫で眠っていたプリントだったのか、それとも16ミリプリントでもあったのか、ともかく、古いフィルム丸分かりの上映状態でおましたが、熱い光源に耐えられなかったのか、上映途中で過熱してしまい、上映が一時、中断するという、そんなこともおました。





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               (左から)大川橋蔵、松原千浪、明石潮、香川良介

 橋蔵扮する新三郎という若者が、そもそも、なぜ人を斬って江戸に出ることになったのか?
 女がらみの、よくある揉め事でおますな。
 新三郎は国家老(明石潮)の娘お妙と婚約している仲でおます。しかし、お妙には、ほかに好きな男(中野雅晴)がいてはります。新三郎はお妙に、その男と一緒になったほうが「あんたの幸せやで」と女からケッチンを喰らっているのに理解を示します。なのに、お妙さん、それを父親に言い出せず、ウジウジしとります。

 ところが、お妙に好意を寄せている侍(須藤健)がおり、話はややこしくなります。家老の娘と結婚する予定の新三郎を妬んだ侍は新三郎に言いがかりをつけ、そこで決闘となり、打ち負かされてしまいます。人を殺したと思いこんだ新三郎の前に家老が現れ、殺人犯は娘の婿にはできないとばかり、「今後いっさい、うちとは関係あらへんからな」と言い切り、やむなく新三郎は江戸へ向けて逃走……。

 江戸へ出てきた新三郎は、縁あって町火消しの辰五郎(大友柳太朗)に拾われ、火消しとして生活するようになります。若いイケメンが家に来たことで心ウキウキ、何かと世話をするのが、ひばり扮する辰五郎の妹のお雪でおます。ここから橋蔵、ひばりのお話になり、やがて相思相愛の仲になるというのは映画のお約束でおますが、その前に……。

 新三郎の斬った侍が実は生きており、不行跡が発覚して罰せられ、新三郎に罪はないことが、江戸城勤めの叔父(香川良介)からもたらされます。そればかりか、改めて新三郎を迎えるため、家老とお妙も江戸へ出てきており、家老は罪がない以上、娘の婿に迎えると上から目線のありがたいお言葉です。
 しかし、ここで「へい、おおきに~」と喜ぶ新三郎ではおません。家老の身勝手さに怒り爆発で、今後は火消しとして生きていくと叔父や家老の前で決意表明。侍に戻っても、お妙にはほかに好きな男がいるし、結婚してもうまくいくはずがおませんもんね。

 肝心のお妙さん、父親に言われるままに江戸へ出てきましたが、相変わらず、ウジウジしてはります。自分の父親と新三郎の叔父が新三郎に談判していても(上掲の画像)、一言も発言しはりません。そりゃ、そうですよね。自分にはほかに好きな人がいるのですから。
 そんなお妙を見かねて、ハッパをかけるのがお雪ちゃんでおます。「ほかにいい人がいるなら、ちゃんと言いなよ」と町娘らしい威勢のよさに押されてか、武家娘のほうも「はい、父にはっきり言います!」と、ようやく踏ん切りがついたようでおます。

 さて、このウジウジ娘のお妙を演じているのが当時の東映の新人、松原千浪でおます。のちの桜町弘子でおますな。この作品が、彼女の映画デビュー作でおます。よくプロフィルにはデビュー作が「隼人族の反乱」(1957年、監督=松田定次)とされとりますが、本人の談によれば「大江戸喧嘩纏」がデビュー作品でおます。

 デビュー作以来、橋蔵の時代劇映画末期の「主水之介三番勝負」(1965年、監督=山内鉄也)まで橋蔵とは何本もの映画で共演しとりますが、デビュー作では橋蔵と好き合う仲ではなかったのが尾を引いたのか、最後のコンビ作品の「主水之介三番勝負」でも相思相愛の仲だったのに別れざるを得ない武家の女を演じているのが何やら因縁めいております。
 その間、橋蔵最大のヒット作「新吾十番勝負」シリーズでも、続く「新吾二十番勝負」シリーズでも追いかけているのに一緒になれない娘お縫を演じ、橋蔵が流浪時代の源頼朝を演じた「富士に立つ若武者」(1961年、監督=沢島忠)でも北条政子(三田佳子)に走る頼朝を秘かに慕う山の娘で印象的な演技を残しているのに、新吾シリーズの最終作「新吾番外勝負」(1964年、監督=松田定次)では、もう橋蔵を追いかけるのは諦め顔のようなお縫でおました。

 もちろん映画の上のことではおますが、デビュー作が祟ってか? 橋蔵とは一緒にはなれない女優さんだったのですな。




 
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