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2012-09-26

ツワモノどもの汗の跡には

                溝口健二碑120926

 先日、こちらのローカル番組「せのぶら!」を何気なく観ていたら、大映京都撮影所が出てきました。
 正確には大映京都撮影所跡でおますけどね。

 この番組ではナビゲーターのラジオパーソナイティー・妹尾和夫(兼俳優兼歌手)が京阪神の商店街をチンタラ漫歩し、そこにある商店街を紹介しているのでおますが、その時、訪れたのが京都・太秦の大映通り商店街でおました。
 もう記憶の中に埋もれてしまっているくらい遠い昔、まだ健在だった大映京都撮影所を一度訪れたことがおます。
 その時は勝新太郎主演のテレビ映画「河内山宗俊」が撮影されており、オープンセットでは工藤栄一監督? やスタッフが通りに面した屋根に石ころを何度も何度も放り上げては転がしておりましたが、そのころの大映通り商店街はホンマ、成瀬巳喜男の映画によく出てくるような田舎めいた商店街でおました。以後、近くまでは行っているのに、とんと足を踏み入れることはなかったのでおますが、テレビに映った商店街は道幅は変わらないものの、ちょい地方都市の小さな商店街風の景観でおました。

 この商店街が出たなら、その名前の由来になっている撮影所跡が出てくるのも自然の流れで、もちろん、映ったのは外観だけながら跡地はマンションや中学校として活用されとります。これまた、近くまで行ったことはあるのに、跡地を訪ねるなんて、そんな趣味の悪いことはしたことがおませんので、そのマンションや中学校を目にしたのも番組で見るのが初めてでおます。
 跡地の一角には「大映株式会社 京都撮影所」と記された碑があり、猫額の敷地には「羅生門」(1950年)や「雨月物語」(1953年)で贈られた映画祭の優勝杯のレプリカが陳列されとりました。

 まさに、兵(つわもの)どもの汗の跡でおますな。
 とはいえ、栄華を誇った映画会社が結局、残し得たのは跡地に建つ記念碑だけだったとは……。
 大映が瓦解して40数年、その後、映画作品の権利売買を巡って「大映」の名前は消えたり浮かんだりしとりましたが、今や「大映映画」という表示も残された映画群の商標の中にしかおまへん。

 ちなみに、冒頭の画像は溝口健二監督の墓碑があるとされる寺を友達と訪ねた時、境内に残された溝口健二の顕彰碑でおます。

 この番組では太秦を歩く回が3回にわたって特集され、東映太秦映画村や松竹京都撮影所(なぜか門前だけ)、近くの花街・上七軒なども紹介されとりましたが、その中で東映京都テレビプロの録音技師だった浜口十四郎氏が今は録音・ダビングスタジオを経営していることも分かりました。


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