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2006-02-25

3)女優列伝1「よかったねぇ、あたしがお喋りで・・・」

杉村春子101011


 「よかったねぇ、やっぱり、あたしがお喋りで・・・」
 このセリフが出てくる映画って、何だか分かりますか。すぐに映画の題名が頭に浮かんだ人、あなたはすごい!!

 小津安二郎監督の1951年度の作品に「麥秋」という映画があります。その中で人のいい、お喋り好きなおばさんの杉村春子さんが訪ねてきた近所に住む娘さんの原節子さんに向かって言うセリフです。
 この後、杉村さんのセリフは「もし言わなかったら、このままになってたかもしれない」と続くのですが、自分のグチのようなお喋りから、まさに瓢箪から駒のように気に入っていた原節子さんを自分の息子(二本柳寛)の後妻に迎えることになり、本人の承諾を得た後に出てくるセリフです。
 
 この原節子さんとのやり取りのシーンの杉村春子さんは絶品ですね。息子に対する不満、住み慣れた家から新しい土地に移る不安に始まり、亡夫の経歴、原節子さんに対する希望、その希望が受け入れられた喜び、自分のお喋りに対する恥じらいから「アンパン、食べない?」まで、杉村さん演じるおばさんの表情や感情がコロコロと変わっていきます。
 それを受ける原節子さんは自分の考えを述べた後は微苦笑でおばさんのお喋りに付き合っています。原さん「こんばんはー」、杉村さん「だぁーれ?」、原さん「あたしぃー」で始まる、このシーンのやり取りの二人の口調を昔、小津映画ファンの友達と真似たこともありました^^。
 


 1949年度の「晩春」以来、小津映画の常連俳優となった杉村春子さんは、「晩春」の鶴岡八幡宮の境内で財布を拾った直後、巡査を見かけてオロオロするおばさん、1953年度の「東京物語」の母親の死に泣いていたかと思うとケロリとして形見分けの話を始める姉娘、1959年度の「お早よう」の町内会費のことで近所を一人かき回す主婦など、その時その時によってコロコロと変わる人物の表情や感情を絶妙の間で演じています。ことさらセリフで強調しなくても、瞬時、瞬時に移っていく心理の微妙な変化をちょっとした表情や身のこなしで表現しているのですね。 
 
 杉村春子さん。亡くなって来年で10年目を迎えますが、すごい女優さんでしたよね。演技のうまさには定評がありますが、「うまい女優」とうよりボクには「すごい女優」の方がピッタリきます。90いくつかで亡くなるまで現役女優の第一線にあったことだけでも、すごいじゃないですか!!(亡くなった時の新聞記事では91歳と出ていましたが、実際にはもう2~3歳上だったという説もあります・・・)。
 
 映画の杉村春子さんに強い印象を持ったのは「麥秋」と1961年度の伊藤大輔監督「反逆児」です。片や、お喋りな人のいいおばさん、片や、夫に見捨てられ、わが子を偏愛する妄執に生きる戦国の大名夫人。まさに両極端の女性を演じ分けています。もちろん、これらの作品をリアルタイムで観たわけではありません。ちょうど20歳のころ、相前後して出遭った作品でした。
 
 もう一本、小津映画では忘れられない杉村さんがいます。1959年度の「浮草」です。この作品での杉村さんは前記のコロコロおばさんではなく、久しぶりに会いに来た昔の愛人(中村鴈治郎)をさりげなく、しかしドーンと迎えるおばさんです。しかも、この作品での杉村さんは、昔は色っぽかっただろうなと思わせる残り香を漂わせています。
 というのも、小津映画に限らず、それまで観てきた映画の杉村さんは色気にはほど遠いような役柄ばかりで、事実、杉村さんに色気を感じることはなかったのですが、「浮草」に出てくる杉村さんは色気ムンムンではなく、そこはかとない残り香を伊勢の港町に住む居酒屋のおばさんの立居振舞に匂わせています。
 
 コロコロおばさんは小津映画以外にも、成瀬己喜男監督の「流れる」(1955年度)で見せた売れない年増芸者、黒澤明監督の「赤ひげ」(1964年度)の因業な岡場所(私娼窟)の女将などが挙げられます。
 ことに「赤ひげ」では下働きの女の子(二木てるみ)をいじめている最中に赤ひげ先生(三船敏郎)が訪ねてくると途端に「あ~ら、せんせい~」と声のトーンを高くしてお愛想のシナを作るあたり、コロコロおばさん面目躍如です。悪人がほとんど出てこないこの作品では唯一、憎まれ役といってよく、しかも黒澤映画らしく劇画チックに演じているのも見ものです。
 
 色気の方は先にも述べたように映画ではあまり縁がなかったのですが、杉村春子という女優は本業の舞台では年齢が加われば加わるほど、色っぽくなっていった不思議な女優さんでした。

 ボクが舞台女優・杉村春子を観るようになったのは杉村さんが70歳を過ぎたころからでしたが、ちょうど、そのころから舞台で観る杉村さんはどんどん色っぽくなっていきました。さすがに最晩年はそうでもなかったものの、年齢が増せば増すほど、色っぽくなっていった不思議な現象、あれは何だったのかと今でも思っています。
 
 杉村さんの最後の映画は、亡くなる2年前に主演した新藤兼人監督の「午後の遺言状」(1995年度)でした。
 共演した乙羽信子さんが、この映画の公開直前に急逝したこともあって評判を呼び、映画に対する世評も高かったようです。
 最後のお春さんの映画になるかもしれない(事実、なってしまいました)と思ってボクも劇場へ足を運びましたが、「お春さん、これでええんかいな・・・」と肩を落として劇場を後にしたことを憶えています。
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