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2006-04-22

31)マキノ節の「日本侠客伝」

日本侠客伝



 ややハイテンションながら軽快なテンポのタイトル音楽で始まる「日本侠客伝」は、1964年製作、東京・深川の木場人足(この言葉って、差別用語になっているのかな? 要するに木材運搬業)の男たちの男気を描いた映画です。
 監督はマキノ雅弘。脚本は笠原和夫、村尾昭、野上龍雄と、その後、東映任侠映画を量産し、トップライターとなっていく脚本家が名前を連ねています。ちなみに、音楽は斉藤一郎(数多くの成瀬己喜男監督の映画で音楽を担当していますよね)。
 同時に、この作品は高倉健の本格的な着流し任侠映画の出発点にあたります。時代は東京オリンピック開催の年で、それに伴う日本の急激な高度成長が始まっているころでした。その高度成長と歩を合わせるかのように任侠映画も隆盛を見ていきますが、このころはまだ任侠映画の黎明期といってもよかったでしょう。
 高倉健映画でいえば、このころ、まだ「昭和残侠伝」シリーズも「網走番外地」シリーズも始まっていません。この種の映画といえば、前年、沢島忠監督の「人生劇場 飛車角」を残していますが、石井輝男監督や井上梅次監督のギャング映画があったり、背広を着たやくざのアクション映画があったり、内田吐夢監督の「宮本武藏」シリーズで佐々木小次郎を演じていたりで混沌とした時代だったんですね。
 この「日本侠客伝」と同じ年、東映任侠映画の一方の雄となる鶴田浩二がバクチを生業とする純粋な? やくざを演じる「博徒」(監督・小沢茂弘)も登場しており、ともにシリーズ化されることになります。
 そして、「日本侠客伝」は当初、高倉健が演じた主役の小頭・長吉には時代劇のトップスターだった中村錦之助(のちの萬屋錦之介)が予定されていたことも有名な話ですね。
 「歴史に『もし・・・』はない」と言ったのは司馬遼太郎ですが、もし、中村錦之助が主役で「日本侠客伝」が製作されていたら、シリーズ化されるほどヒットした映画になっていたかどうか、それは誰にも分かりません。
 錦之助は翌年、さらに翌々年、所属の東映の製作方針に沿うように任侠映画に準じる作品として「花と竜」「花と竜 洞海湾の決斗」(ともに監督・山下耕作)に主演しますが、やくざ映画を嫌い、時代劇を求めて自由の天地に出ていきます。錦之助とライバル視された大川橋蔵も新境地を求めて大正時代の愚連隊青年に扮して「バラケツ勝負」(監督・松田定次)に主演しますが、橋蔵のマゲをつけていないこの映画は大失敗を喫し、やがて、テレビ映画「銭形平次」(1966年)で金脈を掘り当てることになります。
 振り返れば、この時代、主役交替の時期だったんですね。錦之助、橋蔵がスクリーンを牛耳っていたころ、高倉健は主役・準主役級待遇ながらもまだ花は咲かず、松竹、大映、東宝、東映と渡り歩いた鶴田浩二も外様大名の冷遇に甘んじていました。

 さて、「日本侠客伝」です。
 当時としては、ごく当たり前、しかし、今となっては凄い、オープンセットの緻密な建て込みにまず目を瞠ってしまいます。巻頭の江戸の匂いをかすかに残す往来、主人公・長吉が属する木場政一家の親方(伊井友三郎)が倒れる深川の堀割など、遠近法を十分に生かした、セットだと一目瞭然ながら、そこにまだ映画が撮影所という「特殊工場」で産み出されていたころの高い技術力をうかがうことができます。美術監督は鈴木孝俊。長く時代劇映画で生きてきたおじさんです。
 ドラマの方は我慢劇です。その後、纏綿と繰り返される任侠映画の我慢劇の基本、主役たちがどこまで我慢を強いられ、何を契機にその我慢が爆発するかが、すでにここで描かれています。
 その我慢劇の中で、マキノ雅弘お得意の「祭りのにぎやかさ」が展開します。実際、劇中では祭りの夜にそろいの浴衣を着て高倉健以下、木場政の若い衆たちは殴りこみにでかけるのですが、それ以前にこの若い衆たちを中心にマキノ雅弘は十分に「祭り」をやっています。
 「木場政村」といっていいほど、まとまりのいい生活圏で高倉健のほか、大木実、田村高広、長門裕之、松方弘樹といった面々に村の気のいいチンピラ・津川雅彦も加わり、気心の知れた親しい仲間が時に怒り、時に泣き、時にふざけたりしています。もう、マキノ雅弘の「次郎長三国志」シリーズの「次郎長村」の子分たちそのものですね。
 
 当然、この若い衆を演じる俳優たちに見せ場が用意されていますが、最もおいしい役柄は長門裕之演じる赤電車の鉄でしょう。村の愛嬌者で、勝手に一家のハッピを質入れしてしまうような突っ走ったところのある三枚目の役どころながら、男気を見せます。濡れ場(古い言葉です。ラブシーン)も見せます。
 この赤電車の鉄は主人公の長吉の幼馴染で、南田洋子扮する芸者・粂次に惚れています。しかし、粂次の気持ちは長吉のほうに向いていて、粂次にとって鉄は時々、自分を相手に酒を飲んでくれるお友達感覚の客でしかありません。そんな鉄が大金を必要とする自分のためにカネを用意してくれたことから、粂次の心は鉄に急速に傾いていきます。
 粂次さん、カネになびいたのではありません。無理算段して大金を用意した鉄の心意気に傾いたのですね(ハッピを強引に質入れするエピソードは、ここに関連しています)。といって、いかないい加減な三枚目の鉄も、すぐに粂次の気持ちに飛びつくようなヤボな男でもありません。
 「もしもよ、もしも、あたしが鉄っあんに惚れたと言ったら・・・?」と言う粂次に対し、鉄は「嘘に聞こえるね」と言って帰っていきます。本当はすぐにでも女の言葉を受け入れたいのですが、そこは鉄も大人の男です。安っぽく見られたくはありません。だから、女の言葉が真実であっても、男はそれをいったんは振り切ってしまいます。
 マキノ雅弘は映画の中で「ヤボ」であることを嫌い、繰り返し「粋(いき)であること」を描きましたが、このあたり、マキノの「粋」学の最たるところですね。と同時に、この時の男と女のやり取りはマキノ式ラブシーンのサンプルともいえるでしょう。
 本来、マキノ式ラブシーンは主役の高倉健の持ち分となるべきはずのところ、ここでの健さんは限りなく不器用でぎこちなく、恋人役のわがご贔屓・藤純子も前年、映画デビューしたばかりで、ともにまだそこまで成長していません。二人だけのシーンは用意されているものの、少年と少女といった感じで、だからこそ、成熟した大人のラブシーンは長門裕之と南田洋子という二人の技巧者に託されています。
 
 このブログで少し前に高倉健ファンの友達が木場政のハッピを作ったことに触れましたが、そのハッピを手渡された時、ボクの脳裏に真っ先に浮かんだのが長門裕之が演じた赤電車の鉄なのでした。
 
 
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