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2011-02-19

東映城のおばさまの退場続く

浦里はるみ110219

 浦里はるみ(あるいは浦里はる美)といっても、現在では知らない人のほうが多いと思いますが、かつて東映時代劇の顔ぶれを飾った女優さんでおます。
 この13日、あっちの世界に引っ越ししました。亨年76。

 顔ぶれを飾ったといっても、並みいる主演スターたちの相手役だったというわけではおません。
 時代劇の女優も現代劇と同じで、主演スターたちの相手役を務める娘役の女優ばかりで成立するわけはなく、母親役やおばあさん役、あるいはちょっと年増の色っぽいお姐さん役など、一篇の映画を構成する娘役以外のいろいろな役に扮した女優さんも登場してはります。

 浦里はるみは、そのちょっと年増の色っぽいお姐さん役を得意とした人でおます。
 多くは芸者であったり、料亭の女将であったり、あるいは女スリ、鉄火肌の姐御、大名や旗本の愛人、画像にあるような娘手踊り一座の座長など、間違っても堅気の商家の妻女や大名の奥方などは演じることのない、昔の分類でいえばヴァンプ(妖婦)型の女優さんでおました。

 


 片岡千恵蔵主演の遠山の金さんシリーズは、ほかのシリーズ物のように統一したサブタイトルが付くことはありまへんでしたが、ほとんどの映画に「お景」と「お半」という2人の女性が登場します。
 お景ちゃんは多くの場合、事件の渦中にあって父親が被害者になったり、犯人として疑われたりして泣き濡れる娘さんでおます。演じていたのは高千穂ひづるや千原しのぶ、田代百合子など当時の娘役スターでおました。
 一方のお半さん、こっちは仇っぽい年増で、事件究明に当たる町人姿の金さんと仲良くなったり、喧嘩したりするお姐さんでおます。東映時代劇がカラー化、ワイド化される直前、この年増のお半姐さんを演じていたのが浦里はるみでおました。彼女が東映時代劇に初めて顔を見せ、お半さんを演じたのが「喧嘩奉行」(1955年、監督・佐々木康)でおます。

 そのほか、映画として名高いところでは内田吐夢監督の「大菩薩峠」(1957年)、「大菩薩峠 第二部」(1958年)がおます。ここでは江戸の旗本の元愛人で、茶道か華道の女師匠風に被布を着た何やら経歴不詳めいた大年増を演じています。行き場をなくした巡礼のお松(丘さとみ)を裏宿の七兵衛(月形龍之介)から預かるおばさんですね。
 また、「市川右太衛門三百本記念作品」として製作された1958年のオールスター映画「旗本退屈男」では、歌舞伎の「伽羅先代萩」をもじったような伊達家のお家騒動で幼君(植木千恵)を薬殺しようとする奥向き中の八汐ならぬ八島という怖いおばさんを演じ、ヴァンプ型女優の本領を発揮しとります。

 お半さんの昔はいざ知らず、ボクが東映時代劇を観るようになって浦里はるみを映画で見るたびに、釣り上がったキツネ目のような眼差し、色白で豊満な肉体、ちょっとしわがれた声など、まだ「妖艶」という難しい形容語など知らない子どもの目には随分おばさんっぽく見えたものでおます。しかし、実際にはまだ若かった女優さんだったのですね。1958年時点で、まだ24歳。いかに半世紀以前とはいえ、芳紀24歳にしては、かなり老けてみえたことは確かでおます。

 この当時、時代劇以外に現代劇にも時代劇と同じような役柄で顔を見せておりますが、作品歴を眺めていてかなりびっくりしたのは1956年の高倉健主演の「電光空手打ち」「流星空手打ち」の2部作(ともに監督・津田不二夫)で健さんの相手役をしていることでおます。
 この映画は高倉健のデビュー作で、健さんと沖縄の衣装を着た浦里はるみのツーショットのスチール写真が残っておりますが、妖艶なお姐さん、朴訥な風貌の健さんとどんな愛の言葉を交わしたのか、ちょっと面白そうでおますな。
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