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2010-11-30

「元禄忠臣藏」は新鮮だった

元禄忠臣蔵101105


 画像は、今から30年前、東京の三百人劇場で1942(昭和17)年に製作された溝口健二監督の「元禄忠臣藏」前篇・後篇を初めて観た時のパンフレットの表紙でおます。

 昭和17年といえば、日本の15年戦争の末期ながら前年12月の真珠湾攻撃に端を発した太平洋戦争が始まったばかりのころでおます。戦局はまだ日本に有利であったものの、この後、急速に負け戦に傾いていく、ちょうど端境期のころで、もちろん、端境期などといえるのは当時の時代が歴史となっている現代だからこそでおます。時代の流れの中にあって、今が端境期なのかどうかを認識できないのは過去も現在も同じことでおます。

 そんな時代に製作費120万円(30年前当時の換算で約18億円とか)という目玉が飛び出しそうな資金が投入され、前進座の面々と当時の松竹系のスターたちがタッグを組んだこの映画、一種の国策映画ですな。松竹配給ながら、わざわざこの映画のために興亜映画という会社が設立されたということでおますが(後篇は松竹京都)、「興亜」という名前からして戦時色プンプンでおます。クレジットタイトルの冒頭、「護れ 興亜の兵の家」とか「情報局国民映画参加作品」とか、当時としては当然、でも、今から見れば仰々しいタイトルが出てきます。

 溝口健二監督の作品歴の中では、大金を投じてできた映画の割には比較的評価が低い作品とされていますが、いや、これがボクにはとてつもなく新鮮で面白い忠臣蔵映画でおました。


 何が新鮮で面白かったのかというと、この忠臣蔵映画は討ち入りがおまへんのですな。
 忠臣蔵映画といえば、最後の討ち入りが見せ場で欠かせぬシーンですが、この「元禄忠臣藏」には吉良上野介という老人の命を奪うため、大石内蔵助以下元赤穂藩の藩士47人が夜陰にまぎれて吉良屋敷に斬り込みをかける場面がおまへん。

 これが、ボクには新鮮やったんですね。
 というのも、それまで映画、テレビを通じて飽きるくらい忠臣蔵物のドラマを観てきており、そのいずれにも吉良屋敷討ち入りという赤穂の浪人たちの奮闘シーンがあり、なかなか見つからぬ老人を明け方近く、ようやく見つけ出して浪人たちが主君の恨みを晴らすところで観る者の快哉を求め、カタルシスを覚えさせていました。
 観るまでは、この作品に討ち入りの場面がないことは知らなかったため、ありゃ!?となったものの、へぇ~、こういう作り方もあるんや―と当時、まだ子どもだったボクは、あるべきものがなかったことに大変感動したというわけでおます。

 溝口健二は、討ち入りの乱闘場面を入れることで前後のつながりの映画としての波長が乱れるということで、わざと斬り合いのシーンを外したといわれていますが、真山青果が連作物として書き綴った原作戯曲には「吉良屋敷裏門」としてわずかながら討ち入りの場面が組み込まれているんですね。
 この作品の原作となった真山青果の戯曲は徹底した資料調べ、格調あるセリフなどで名高いですが、決して歴史物として書かれたわけではおません。それは適当に巷談も取り混ぜているからでおます。
 たとえば、討ち入り前夜、大石内蔵助がひそかに亡き主君の未亡人を訪ね、それとなく別れを告げる、いわゆる「南部坂の別れ」は実際にはなかったようですが、戯曲にはたくみに取り込まれており、しかも、ご丁寧に青果は幕末から明治にかけての劇作家、河竹黙阿弥の原作を了解を得てベースにしていると断り書きを残しています。

 じゃ、映画ではどうなっているのかというと、定番通り、内蔵助(河原崎長十郎)は未亡人(三浦光子)を暇乞いに訪れます。もちろん、今夜、討ち入りしまっせなどとは言わず、すっとぼけています。その態度が未亡人の怒りを買い、内蔵助は主君の霊前を拝するのも許されず、帰り際、未亡人付きの老女(梅村容子)に袱紗包みを渡し、旅のつれづれに記した日記で、お暇な時にご覧にいれてと言い置いて辞します。
 続いて、その夜更け。寝床に入った未亡人は何やらすぐには寝付けません。そこへ老女が私も寝付けませんねんと現れ、昼間、内蔵助から受け取った袱紗包みを差し出します。不審に思った未亡人が老女に包みを開けさせると、出てきたのは内蔵助が自らしたためた赤穂城明け渡しから今日に至るまでの藩公金の収支明細書でおます。これまた定番通りの流れでおます。
 ありゃりゃと驚く2人のもとに、夜中ながら一通の手紙が届きます。それは赤穂藩の元重臣、吉田忠左衛門(助高屋助蔵)からの手紙で、老女が読み上げると討ち入りの様子がこまごまと書き綴られています。さては! と悟った未亡人と老女は吉良上野介の首級を上げた下りでさめざめと涙に暮れます。
 老女が読み上げる討ち入りの模様を観客に聞かせることで、討ち入りの場面を処理してるんですね。
 次の場面は討ち入りを終えた浪人たちの主君が眠る泉岳寺のシーンで、一夜明け、浪人たちが降り積もった寺の境内の道を主君の墓前に向かうところへつながっていきます。

 定番を外した見事な作りでおますが、当然、現在以上に討ち入りのある忠臣蔵映画を見慣れていた当時の観客の不評を買っただろうことは想像できますな。
 戦前から市井の男女の映画で定評があった溝口健二は、苦手とされる本格的な武家物映画を演出するにあたり、現寸大で組み立てさせた実物とみまがう松の廊下のセットで右往左往していたと、この映画で美術監督の水谷浩とともに建築監督として携わった新藤兼人の証言もおますが、今観れば昨今の時代劇映画と比べると逆にきちんとした本格時代劇映画になっているのは不思議でも何でもおませんな。
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