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2010-09-06

「私家版加藤泰論への道」7 時代劇映画の本拠地へ

恋染め浪人広告


 加藤泰が戦前の東宝、満映(満洲映画協会)を経て戦後の大映京都、宝プロダクションと映画界を渡り歩き、1955(昭和30)年、新東宝配給でトリックいっぱいの大忍術映画「忍術自雷也」「逆襲大蛇丸」(共同監督・萩原遼)を監督した後、およそ16年間籍を置くことになる東映京都へ流れ着いたのは翌年の56年のことです。
 本人の弁によると「来ないか」と誘われて行ってみると、助監督からの仕切り直しのスタートでした。会社にすれば、既に何本か監督作品はあるものの、まだ海のものとも山のものともしれない存在で、しかも自社のカラーに合うかどうか、しばらく様子を見ようということだったのでしょう。

 そのころの東映京都は、やがて到来するスター中心にベルトコンベア式に商品として映画を製作する量産体制になる直前の時代でした。東映は51(昭和26)年、東横映画、大泉映画、東京映画配給の弱小映画会社3社が合併して出発した映画会社ですが、発足以来の赤字続き。それが54年、「笛吹童子」シリーズに始まる新諸国物語映画、いわゆる童子物映画が大ヒットし、黒字に転換、ようやく息がつげる経営状況になっていました。
 時代劇は、発足以来の片岡千恵蔵、市川右太衛門、大友柳太朗、月形龍之介らの主演映画に加えて童子物映画で台頭してきた若手の中村錦之助、東千代之介、伏見扇太郎らの主演作、それにまだ専属になる前の美空ひばりの主演映画もあり、やがて量産体制時代に錦之助と拮抗するようになる大川橋蔵が東映京都に来たのも56年のことで、ようやく賑わいを見せてきたころでした。
 しかし、まだ映画は日本映画界全体がモノクロ、スタンダードサイズの時代です。 

 そんな時代、戦後の時代劇映画の本拠地に加藤泰は漂着したのですね。
 東映京都での加藤泰の第1回監督作品は、翌57年初頭の大友柳太朗主演「恋染め浪人」です。
 冒頭に掲げた画像は、キネマ旬報の新年特集号に掲載された正月映画広告の一部です。ちなみに左隣にある「大江戸喧嘩纏」(監督・佐伯清)は橋蔵・ひばりの顔合わせに大友柳太朗が抑えに付き合っている作品で、のちに加藤泰映画のヒロインの1人となる桜町弘子(松原千浪名義)のデビュー作でもあります(この2人、同じ年にスタートしてるんですね)。
 助監督として東映京都で仕事をするようになった加藤泰が、1年もたたないうちに監督作品を任されたというのは、助監督という職種が彼にとって入社に際しての形式的な措置だったことがうかがえます。もちろん、ズブの素人として東映京都に流れ着いたわけでなく、会社としてもよほど高名な、実力のある監督でない限り、いきなり監督として迎えることもできなかったと思われます。
 同時に、このころの東映京都のエース監督の1人で、加藤泰が最も多く、その仕事に携わった佐々木康監督の、なるべく早く監督に昇進させろという会社への働きかけがあったことも考えられます。

 チーフ助監督として佐々木康のほか、新東宝へ行く前の並木鏡太郎監督・脚本、大友柳太朗主演の「地雷火組」、のちにテレビ映画の時代劇で活躍し、今も記憶される河野寿一監督、中村錦之助主演の「晴れ姿一番纏」などに付き、佐々木康監督の作品では佐々木監督名義で脚本(「七つの誓い」シリーズ)も書いています。また、脚本家として佐々木監督、大友柳太朗主演の「忠治祭り 剣難街道」で加田三七(村上元三の別名)と共同執筆しています(多分、加田三七の脚本の直しをしたのかも)。

 佐々木康といえば、元松竹の監督で東映が発足してまもなく請われて東映へ入社し、時代劇を主に担当していた人ですが、松竹では歌謡メロドラマの旗手として知られています(長男が後に松竹のプロデューサーになる佐々木孟)。
 彼の自叙伝を読むと、小津安二郎が師匠に当たり、小津の影響を受けて自分も「芸術映画」を撮りたかったが、小津に諭され、商業映画一辺倒で過ごすことになったと語っています。彼の言う「芸術映画」がどのようなものか、それは述べられていませんが、多分、好いた惚れた、泣いた笑ったの通り一片の映画ではなく、当時の小津映画に見られた世相を反映させた皮相な作品群を指しているのではないでしょうか。
 佐々木康は高峰三枝子が主演し、主題歌も歌った「純情二重奏」(1939年)や「リンゴの唄」を主題歌にし、戦後の日本映画の第1作とされる「そよかぜ」(1945年)の監督として名を残しています(1993年、85歳で没)。

 第1回監督作品「恋染め浪人」は、そのころ盛んに映画化されていた時代物作家、山手樹一郎の小説を原作とした浪人物です。脚本は、あまりの仕事量の多さに複数のライターが合体した名前ではないかと噂されていたという結束信二が担当しています。
 江戸で町医者も兼ねている浪人(大友柳太朗)が記憶喪失となった武家娘(長谷川裕見子)を救ったことから大名家のお家騒動に巻き込まれ、騒動を解決すると飄然と去っていくというストーリーで、いかにも東映時代劇にごまんとあった映画です。
 加藤泰はのちに、この作品について『当時の東映時代劇路線をふみ外さず、極められた予算と日数で、ちゃんと撮りあげる事が出来たと言へる仕事である』と振り返っていますが、まさか、第1作から後年見られるような異端? の映画作りも考えていなかったでしょう。なにしろ、以後、監督として1本立ちできるかどうか、会社側も注目していますから、路線に合わせるしかないですよね。

 ただ、雨上がりの濡れた木の葉のアップで雨のしずくが流れ落ちる様子で時間の経過を示しているあたり、そのころのほかの東映時代劇にあまり見られないショットであり、主人公を応援する旅芸人(花柳小菊)一座の男や女がブワァーと出てくるあたり、のちの加藤泰の片鱗がうかがえます。団体さんが出てくるのが好きですからね、加藤さん^^

 当然、ボクはこの作品をリアルタイムで観ていません。観たかもしれないというおぼろげな記憶もありません。テレビ放送でも観ておらず、初めて観たのは加藤泰が引っ越した後で、16ミリフィルムながら追悼上映会でした。その時の感想は「おもろないなぁ~」でした。
 そして、およそ20年後、再度この作品を観る機会があったのですが、その時は「意外におもしろいやんか」でした。それは、加藤泰だからというのではなく、当時の平均的な東映時代劇だからという意味で、この当時の時代劇映画は現在のそれよりはるかにおもしろいことは否めないですね。
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