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2006-03-25

20)「妖刀物語 花の吉原百人斬り」の女の嘘と真実

 内田吐夢監督の時代劇「妖刀物語 花の吉原百人斬り」は1960年の作品です。
 この監督のフィルモグラフィーには特に時代劇では「大菩薩峠」シリーズや「酒と女と槍」、「宮本武藏」シリーズのような孤高の男が女そっちのけで自分の趣味に走ってしまうような作品がある一方、「暴れん坊街道」や「浪花の恋の物語」、「恋や恋なすな恋」のように浄瑠璃・歌舞伎ネタを題材にした男と女を描いた作品群があります。
 この「妖刀物語 花の吉原百人斬り」は後者に属する作品で、歌舞伎で有名な「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」を題材にしており、遊女の偽りの愛に翻弄されて自滅する純朴な男の話ですが、脚本はアメリカ映画「スターウォーズ」の登場人物? のキャラクターのヒントになったといわれている依田義賢です。

 この作品を観るには映画の最初の方でも描かれているように、夜鷹(よたか=街娼)が役人に掴まった場合、官許の風俗施設であった吉原遊郭に下げ渡され、一生奉公を強いられるという江戸の法制度があったことを頭に入れておかなければなりません。これをきっちり捉えておかないと、この作品は単に女に騙された男と男を騙した女の、バカな話になってしまいます。

 自由営業の街娼が、たまたま行われた夜鷹狩りで掴まり、吉原送りになるというのは運の悪い話ですが、だからといって遊郭で一生、売春を強いられるというのも理不尽極まりない人権蹂躙なことです。江戸時代は個人の人権というものが意識されていなかったのか、それでまかり通っていた時代だったんですね。
 のちに吉原遊郭の太夫という最高位の花魁(おいらん)・八ツ橋に出世するおつるという女が映画のヒロインです。


 ところが、元ネタになった歌舞伎と映画とでは、このヒロインの造型が少々違っています。歌舞伎の方ではもともと花魁として登場し、その花魁道中で田舎から出てきた男(佐野屋次郎左衛門といいます)が八ツ橋を見初めてしまいます。映画では、どの遊女も男の敵娼(あいかた=客の相手)になることを嫌う中、ヒロインが進んで男の相手となり、二人は知り合います。

 そして、最も大きな違いは男を騙す女の手練手管です。
 歌舞伎では八ツ橋はお家騒動に巻き込まれてカネが必要な間夫(まぶ=恋人)のために、カネを持っていそうな男をやむを得ず騙すことになります。八ツ橋を当たり役とした中村歌右衛門は、このやむにやまれず男を騙しているという心持ちを障子を閉める動作に表していたものです。
 一方、映画の方のヒロインは、理不尽な境涯に落とされたことへの怒りが腹の中でくすぶっています。しかも、夜鷹出身ということで同じ遊女仲間からも蔑視されています。目クソ、鼻クソを笑うですね。どちらも風俗業界の女に変わりはないのに、このあたり、江戸時代の階級制度のからくりが垣間見えています^^

 さて、ヒロインはみじめな境涯から抜け出るために、そしてバカにした遊女仲間を見返すためにも花魁になることをひそかに目指します。とはいっても最高位の花魁には簡単になれません。花魁になるための教養、知識はもとよりですが、なんといってもカネが必要で、そのためにはパトロンを持たなくてはなりません。そんな彼女の前にひっよこり現れたのが次郎左衛門だったというのが映画のお膳立てです。

 一方の次郎左衛門はどうかというと、これは歌舞伎も映画も一緒で、田舎で機織り業を営む男盛りの資産家です。男盛りの年代なのに独身です。というのも、次郎左衛門の顔に大きなアザ(歌舞伎ではアバタ面)であるため、妻になってやろうという相手がいないのです。本人も顔のアザのためだということは自覚しています。映画では少々婚期を逃している女性との見合いシーンが出てきますが、顔を見た途端、相手の女性は顔をそむけてしまいます。同じように、商売仲間と初めてと登楼した遊女屋でも並いる遊女たちも顔をそむけて相手になろうとせず、そのお鉢がくすぶっていたヒロインに回ってきます。

 それまで、どんな女にも相手されなかったのに、おつると一夜をともにした次郎左衛門の気持ちは、それ以来、女に傾いてしまいます。しかし、女の方は腹に一物を持っています。悲しいことに、次郎左衛門はそれを知りません。こうして、男にとっても女にとっても悲劇への道を歩むことになります。

 このヒロインを演じたのは水谷良重(現・水谷八重子)でした。このころの水谷良重は今より数倍よかったですね。母親の初代・水谷八重子の後を継いで劇団新派の座長になってからは呆けたような、どこか一本、線がずれているような印象がありますが、この時代の彼女には奔放な魅力があり、それがこの作品では捨て鉢になった女の哀しみと怒り、上昇志向に生きる勝気さとして生かされています。

 次郎左衛門には片岡千恵蔵が扮しています。水谷良重の強烈な印象に比べて、こちらは「??」というのがボクの感想です。つまり、それまで女に相手にされなかったにせよ、どう転んで眺めてみても、どう立ち上がって見てみても、千恵蔵の次郎左衛門は資産をなくしてしまうほど女に入れ上げてしまう分別をなくしてしまった男には見えないんですね。
 この時、千恵蔵は57歳。現実では、もう女の色香に迷うような年代ではないですよね。でも、たまにそういうことも起こり得る。しかし、千恵蔵が演じる中年男は十分分別をわきまえた男にしか見えません(実生活の千恵蔵は亡くなるまで、火宅の人だったそうですが・・・)。

 後半、オープンセットを十分に生かした八ツ橋の花魁道中と、その中で繰り広げられる男と女の結末をダイナミックなカメラワーク(撮影・吉田貞次)で捉えているだけに、決して女に血道を上げてしまうような男には見えない千恵蔵の次郎左衛門は、この映画で唯一残念だった点です。
 「俺にやらせろ」と千恵蔵が名乗り出たのか、それとも千恵蔵とは旧知の間柄のプロデユーサー(玉木潤一郎)や内田吐夢のご指名だったのでしょうか・・・。

 ちなみに、もう一点、難をいえば、サブタイトルにある「妖刀物語」の妖刀の意味も生かされていませんでした。冒頭、捨て子となった赤ん坊の次郎左衛門のそばに刀が置かれているのですが、それだけでは妖刀にならんじゃないの? 
                     
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