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2010-05-08

京都観光案内―つわものどもの夢の跡

千恵蔵墓


 前回、井上昭監督にインタビューしてきたと記しましたが、そのインタビューを終えて、ちょっと京都市内を観光してきました。
 といっても、ボクの観光は御所や二条城、平安神宮など名所・旧跡を回るそちらのほうの観光ではおません。
 映画草創期から戦後にかけて京都を舞台に日本映画界で活躍した映画人たちの夢の跡を巡ってみようという壮大な? そっちの方の観光でおます。
 ナビゲーターはインタビュアーを務めた友人。このご仁、通っていた大学が京都市内だったせいか、とりわけ映画関係の夢の跡には詳しおます。ボクも京都には何度も行ってますが、これまで映画関係の夢の跡は興味がなかったせいか、そちらのほうには疎いので、この際、巡ってみるか! となったのでおます。

 まず最初に向かったのが嵯峨野の仁和寺でおます。インタビュー場所の松竹京都撮影所がある太秦からは目と鼻の先でおます。
 仁和寺、いつ行ってもよろしおますな。道路沿いにガーンと聳え立つ勇壮な山門が目印でおます。といっても、この仁和寺が目的やおません。仁和寺の駐車場脇からトコトコと歩いて徒歩1分の奥まったところに小さなお寺があります。
 そのお寺が蓮華寺。そこに時代劇の大スター、片岡千恵蔵と時代劇の神様といわれた伊藤大輔監督が静かに眠っています。
伊藤大輔の墓


 冒頭に掲げた画像は片岡千恵蔵の、2枚目の画像は伊藤大輔の、それぞれ墓碑でおます。
 この蓮華寺を訪れるまで、ボクは時代劇映画を代表する2人が同じ寺で眠っていたことを知りませんでした。だから、ちょっとびっくり^^

 伊藤大輔があちらの世界に引っ越したのは1981(昭和56)年、片岡千恵蔵は1983(昭和58)年でおます。
 ともに大正末ごろから京都を舞台に映画界で活躍してきた、いわば戦友でおます。
 伊藤大輔の生まれは1898年、明治31年で、19世紀末の生まれ、千恵蔵は1904年で、明治37年の20世紀初頭の生まれでおます。
 伊藤大輔は演劇界からの転身組、千恵蔵はその名前から分かるように歌舞伎界から転身した人で、このあたり、まだ純粋に映画専門の監督や俳優は出ていなかった日本映画の草創期ならでは、でおます。

 ところが、この2人、同じ映画で仕事をともにした作品は? となると、ほとんど見当たらないのでおます。
 すぐに思いつくは、太平洋戦争の最末期、1945(昭和20)年の大映京都作品「東海二十八人衆」(「東海水滸伝}改題)くらいなものでおます。
 この作品では阪東妻三郎が清水の次郎長を演じ、千恵蔵は森の石松で出演しています。しかも、監督は伊藤大輔の単独ではなく、稲垣浩との共同であり、この作品を観ていると、どうやら千恵蔵の出演部分は稲垣浩が担当しているような匂いがプンプンなのでおます。

 これは映画を早く仕上げるためなど諸般の事情から単純に阪妻の部分は伊藤大輔が、千恵蔵の部分は稲垣浩がそれぞれ担当するよう、単純に割り振ったためかもしれまへん。
 それでも・・・?

 伊藤大輔が映画で付き合ったスターといえば大河内伝次郎を筆頭に阪東妻三郎、市川右太衛門、嵐寛寿郎、長谷川一夫、市川雷蔵、大川橋蔵など、あまたおります。
 片や、千恵蔵がよく付き合った監督といえば戦前なら稲垣浩、伊丹万作、マキノ正博、戦後なら内田吐夢、松田定次、マキノ雅弘などでおます。
 不思議と、伊藤大輔、片岡千恵蔵との接点はおません。

 この2人の間には何か確執でもあったんやろか? というのが蓮華寺を訪れた時、ふっとよぎった疑問でおました。
 同じ京都の映画界で、ほぼ同時期に活躍していながら接点のなかった映画人2人が同じ寺で墓碑を並べているというのも皮肉なことでおます。

 蓮華寺境内の決して広くない一角に墓地がおます。
 その墓地の、それぞれの区画を示す敷石が軒を接するようにという表現がぴったりの狭い通路を歩いていくと、ちょうど墓地の中央辺りに千恵蔵の墓碑がおます。そこから4、5軒離れた端寄りのところに伊藤大輔の墓碑がおます。
 画像でも分かるように、それぞれ墓石だけではない、ゆったりとした空間を持つ立派なお墓でおます。千恵蔵の墓碑には芸名そのままが刻まれ、伊藤大輔のほうには入り口に「熱眼熱手 大輔」と本人の筆跡そのままの碑が建てられております。

 面白いのは伊藤大輔の墓碑に対して、片岡千恵蔵の墓碑が右向きに横を向いて建っていることでおます。もちろん、周囲の墓碑の向きもさまざまで、昨今はやりの霊園墓地のような全員、同じ方向の整然とした並びではおません。
 両者の墓碑の向きが、伊藤大輔の背中に対し、片岡千恵蔵がプイッと横を向いているようにも感じられるというのは、うがちすぎなのかもしれません。
 先にあちらの世界に引っ越した伊藤大輔に対し、千恵蔵のほうはどういう向きで墓碑を据えればいいのか考えたのかもしれません。背中を向けて建てれば反発しているようでもあるし、伊藤大輔の背中に対して正面を向ければ追随しているようでもあり、監督と俳優の違いこそあれ、千恵蔵側のプライドが許さなかったのかもしれません。
 そこで、横向きに墓石が据えられたことに落ち着いたのかもしれません。
 千恵蔵は生前、長い間、火宅の人だったようで、あちらに引っ越してからも身辺が落ち着かなかったのですね。

 さて、蓮華寺を後にして、この「京都観光案内 つわものどもの夢の跡」は、いよいよボクにとって本命の場所を訪ねていくことになります。
 
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