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2010-04-10

30年ぶりに出会った「人生劇場 飛車角と吉良常」

飛車角と吉良常


 今やもう、おなじみではなくなった尾崎士郎の大河小説「人生劇場」。
 作者の中学生時代から始まる自伝的小説で、年代でいえば大正から昭和の戦争直後まで(1920~1940年代)、延々と書き続けられた作品でおます。

 大正なんて、昭和ですら、もはやはるか後方に過ぎ去っていますから、もう今の我々には生活実感など想像の外の、ホンマ、時代劇の世界でおますな。

 愛知県の田舎(三州吉良)の落ちぶれた旧家に生まれた主人公、青成瓢吉が豊橋の旧制中学を経て早稲田大学に入学、作家を目指して、いろいろなことがあり、勇躍、文壇デビューを果たして活躍、やがて、日本が戦争時代に突入すると従軍作家として戦地に赴き・・・と作者、尾崎士郎が自分の来し方を書き綴っています。

 その中で、いろいろな人との邂逅も盛り込まれています。

 もっとも有名なのが「残侠篇」に登場する飛車角こと小山角太郎、その恋人のおとよ、飛車角がおとよと世話になるヤクザ、砂村の小金一家の若い衆、宮川でおます。

 小説「人生劇場」の最も早い映画化作品は、1936年の内田吐夢監督の「人生劇場」(日活多摩川)でおます。これは「青春篇」を映画化したものです。
 戦後になって、「人生劇場」の映画化は東映、東宝、日活、松竹などが「青春篇」、続く「愛慾篇」「残侠篇」をミックスしたり、あるいは「青春篇」だけを取り出したり、「残侠篇」を独立させたりして製作しています。その中で最も多いのが「残侠篇」独立作品でおます。

 おかげで小説「人生劇場」はヤクザ小説のイメージを持たれていた時代もおましたが、「残侠篇」の中心人物になる飛車角や宮川は、この大河小説では主人公が出会っては消えていく群像の一部にしかすぎません。

 内田吐夢監督が1968(昭和43)年、「人生劇場」映画として30数年ぶりに映画化した東映東京作品「人生劇場 飛車角と吉良常」は、その名の通り、「残侠篇」独立作品でおます。
 世の中、「明治百年」と言われた年であり、2年後の日本万国博覧会開催を控えた、現在とは全く違う好景気にわき、一方では学生たちの騒乱が猛々しかった(今では、あの学生たちも定年世代でおます)にぎやかな1年であり、映画では東映の任侠映画全盛のころでおます。

 


 この映画をボクが最初に観たのは、封切の年から遅れること数年、まだ、ほんの子供のころでおました。
 だから、正直、よくわからなかったというのが当時の感想でおます。

 というよりも、ご贔屓の藤純子が出ている映画、ということで観たのに過ぎなかったのです。
 藤純子が演じたのは、おとよでおます。
 恋人(鶴田浩二)の入獄中、心のよりどころをなくして恋人の知り合いの男(高倉健)と深い関係になってしまい、男2人の中で揺れ動く難しい役どころでおます。

 ところが、この映画でのご贔屓女優が全然ダメというのが、長く続いたボクの印象なのでおます。
 藤純子の最初の登場シーンで「ダメだ、こりゃ・・・」となりました。

 おとよは横浜・本牧の娼婦。そこから足抜け(逃亡)してきて恋人のヤクザ、飛車角と東京・葛飾の小金(若山富三郎)一家に匿われているのですが、洋髪に長襦袢、風邪気味なので首に湿布を巻いた出で立ちで登場しますが、娼婦の崩れた風情が全然おません。命からがら足抜けしてきた女の怯えもおません。
 純子さん、良家のお嬢さん然としているのでおます。
 「ダメだ、こりゃ・・・」の決定的瞬間でおました。

 以来、ボクはこの映画を「つまらない映画」と位置付けてしまったのですが、それから30数年後の昨年、久しぶりに観る機会がありました。
 まるで新作映画を観るような心もちでおましたが、「なんじゃぁー、こりゃ~。すごいやんか!!」でおました。

 この映画、冒頭の画像のキャッチコピーに「大任侠映画」とあるように、巷間、任侠映画の傑作とされていますが、決して任侠映画ではおません。むしろ、任侠映画として観たら、非常に物足りない作品でおます。
 なぜか?

 男2人、女1人の男女の機微を纏綿と描いた恋愛映画だからでおます。
 男と女がいた。男は殺人罪で獄につながれ、残された女は元の娼婦になり、希望のない日々を送るうち、1人の男と出会った。しかし、その男が獄中の男と知り合いで、男のほうも親しくなった女が自分の知っている男の恋人と知った。やがて、刑を終えて恋人が出所してきた。そこで3人は・・・。

 たった、これだけのストーリーでおます。
 男や女を取り巻く環境(ヤクザの世界、娼婦の世界、青成瓢吉の世界)は、このストーリーを盛り上げる味付けにすぎません。
 そして、この映画の面白いところは、この男2人、女1人のドタバタ劇を吉良常というおじちゃん(辰巳柳太郎)の目を通して描いている点でおます。
 「人生劇場」の重要なキャラクター、吉良常は狂言回しのような役どころで、吉良常を通して男女の愛憎劇を観客も観ていることになり、見方によっては、この吉良常がこの映画の本当の主人公だといえなくもおません。
 飛車角、おとよ、宮川の3人の関係に集約させているため、本来の主人公である青成瓢吉(松方弘樹)も、お袖(左幸子)も点景人物にしぎません。おとよが娼婦の世界で出会うお袖は本来なら瓢吉の元恋人ですが、この映画では単に東京。玉の井の娼婦でしかありません。 

 「残侠篇」の夾雑物を削ぎに削ぎ落とし、3人だけの世界として映画を構築し、吉良常の視点から描いている点、すなわち、内田吐夢の視点といっても過言ではおません。

 「人生劇場 飛車角と吉良常」は、こんなに面白い作品だったんだと、30数年遅れて発見した恥ずかしい一幕でおます。
 

 
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No title

で、純子さんはやっぱり、アカン、かったのでしょうか?

No title

『人生劇場 飛車角と吉良常』は好きな映画です。
信欣三の落ちぶれた先生がなんともいえない味を出していますなぁ。
最近、石田民三を連続して観ているのですが、その箸休め(何がやねん)に、トムさんの『血槍富士』と『妖刀物語 花の吉原百人斬り』を観ました。
私は未見ですが、佐分利信版の吉良常は片岡千恵蔵なんですよね。
で、敬愛する加藤泰版はどうなんでしょうか?

fanfunfaunさんへ

久しぶりのご訪問、ありがとうございます。
最初の登場シーンには目をつむったつもりで観ていくと、だんだんよくなる法華の太鼓じゃありませんが、内田吐夢の期待に応えていってますね。しかし、「明治遊侠伝 三代目襲名」のころと違い、既に「緋牡丹博徒」で看板スターになっていたので、スターとしての演技も否めません。

件の友人さんへ

加藤泰版の「人生劇場」は、瓢吉、飛車角、吉良常、宮川を並列させた人間模様ですよね。青春篇、愛欲篇、残侠篇までの原作の前半部分の映画ですが、実は原作でも最も面白い部分なので、だから、何度も映画化されていたんですよね。
 「血槍富士」は映画全体を貫いているゆったりムードからラストは一転、激情を噴出させる運びがよく、好きな映画です。「花の吉原百人斬り」は良重がいいですよね。今と大違いです。
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