--------

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2009-12-11

荒涼描いたはずの「ゼロの焦点」

ゼロの焦点


 最近、やたらと生誕百周年とか、没後百周年とか、映画製作、あるいは映画興行の場では冠をつけた映画の公開がはやってますね。

 この「ゼロの焦点」も、ご多分にもれず、「松本清張生誕100周年記念作品」でおます。

 まだ新婚ムードが抜けきらない中、出張に出かけた夫(西島秀俊)が失踪。帰りを待つ妻(広末涼子)は消息がつかめないまま、夫の出張先である金沢へ赴き、追跡調査をするうち、妻の預かり知らないところで展開していた戦後の闇の部分が浮かび上がってきた・・・。
 簡単に記すと、こういうストーリーですね。

 まことに松本清張らしいといえば清張らしいというべきか。清張は戦後のミステリー小説の世界に社会性を持ち込んだ作家として知られています。映画の巻頭で太平洋戦争中の学徒出陣の記録フィルムが延々と映し出されていますが、そこからもうなにやら清張の世界めいております。

 時代設定は1957年、つまり、昭和32年でおます。
 正直、もう50年以上も昔の小説だから、時代設定を現代に置き換えていたら「怒るでぇ~、しかし」と、やっさんのモノマネをしなけりゃならなかったのですが、この作品、時代設定を置き換えていたら、おもろいことおまへん。
 戦争が終わった1945(昭和20)年から12年しか経っていない時代だからこそ、この作品に登場する男や女たちが背負っていた「過去」が生きてくるんですな。

 それにしても・・・。
 映画のラストで、妻は泣き崩れてしまいますが、「相手の身元もよく調べないで夫婦になったアンタも悪いがな」と思ってしまったボクって、薄情なんでしょうか?




 

脚本・犬童一心、中園健司、監督・犬童一心による2時間以上もあるこの作品を観ていて、ボクは次第に時代劇でも観ているような不思議な感慨に陥ってきました。

 昭和32年当時の日本の地方都市を再現するため、韓国へ大がかりなロケーション撮影を行ったということですが、時代考証のデティールにあまりにこだわった造りのせいかもしれません。

 ヒロインが真実を知る決め手となるキャラメルの箱、ボンボンと時を刻む古い、中くらいの大きさの柱時計、白黒テレビ、その小さな画面の中で放送されているバラエティーらしい番組、駅の構内に立つ白い衣装の傷痍軍人など、小道具類や点景人物も、その当時をしのばせています。

 当時の金沢の街が映画に出てきたような街並みであったのかどうかは問題ではおませんが、そうした当時を感じさせる一切合財を見ていて、現在とはあまりにもかけ離れた生活臭を放っているものばかり。

 はるか遠くに過ぎ去ったその時代に、ボクも日本の人口を構成する一員であったのは確かでおますが、今から振り返れば、昭和30年代の再現って、もはや時代劇の感覚でおますな。
 ボクがこの映画を観た日、館内には年配の観客が多い光景で、あるいは昭和30年代の再現に「懐かしさ」を憶えた人がいたかもしれませんが、あの時代を過ぎてきたボクが「時代劇やねん」と感じた以上に、平成の時代に育ち、あるいは生まれた人たちからすれば、まさに時代劇、ボクのような年代が明治の風俗を見るかのような感覚かもしれませんね。

 「もはや戦後ではない」と経済白書にうたわれたのが前年の昭和31年でおます。その翌年を舞台にしたこの作品が、なおも「戦後」をひきずっていた男と女のドラマというのも皮肉なことでおます。

 北陸の冬の海、切り立った断崖のショットが幾度となく出てきて、それが登場人物たちの心の荒涼感をイメージさせているのかもしれません。
 でも、ヒロインのナレーションが「~と思った」と、その時々の自分の心理状態を説明するに及び、NHKの朝の連続テレビ小説じゃあるまいし、その思った心理状態を映像にするのが映画やんと思わせてしまっては「荒涼」とは程遠い、テレビの2時間ドラマのような軽さを感じてしまったのは、どうしてですねやろ?
 
 
関連記事

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

青山彰吾

Author:青山彰吾
 日本映画を中心にしたコーナーです。
 ただし、取り上げる映画は偏っています^^
 
 

最近はこんなんです^^
ゲストのひと言
テーマ紹介
FC2カウンター
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

在庫の記事
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。