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2009-08-20

続「反逆兒」

反逆児


 映画「反逆兒」を初めて観たのは、20歳のころでした。
 まだ、DVDやビデオなどなく、ないどころか、想像もつかない時代でおました。

 場所は京都・三条。
 そのころ、三条大橋の近くに京都朝日会館という上映館があり、そこが閉館することになりました。
 
 その閉館のサヨナラ映画会というイベントで、京都で製作された映画、あるいは京都を舞台にした日本映画が朝日会館でかつて上映された外国映画とのカップリングの2本立てで上映されることになり、その中に含まれていた1本が「反逆兒」でおました。

 
 ということを新聞記事で知り、子どものころから東映時代劇になじんでいたこともあって「こりゃ、観とかなアカン」と、ダーッと京都へ一直線でおました。
 年が明けて、その月の末、冬真っ只中の京都はもっとも寒いころでおます。
 そんな寒さもなんのその・・・って、若かったんでしょうね^^

 三条といえば京阪電車が便利でおますが、ボクは大学が阪急沿線だったため、阪急京都線のターミナル駅がある四条河原町から三条まで、トコトコと歩きでおます。
 ま、河原町通りを北に向かって歩けば、四条から三条までは目と鼻の先でおます。

 イベントはわずか5日間。初日は黒澤明監督の「羅生門」(1950年、大映京都)でした。これにゲストのトークが付いていて、初日のゲストは淀川長治さんでおました(併映の外国映画はなんだったのか、失念しました。誰か、教えて~)。

 ところが・・・。
 あの有名な映画監督の、あの有名なグランプリ受賞作品に加え、あの有名な「サヨナラ、サヨナラ」の映画評論家のせいだったのでしょうか、前売り券を持たず、当日券で勝負に挑んだ結果、満員御礼、札止めという現実を前にむなしくUターンを余儀なくさせられたのでした。

 前売り券を買っておけばよかったのに、と言うなかれ。
 当時はチケット購入に便利なぴあもコンビニも生まれてへんかった時代でおます。
 前売り券を買うためだけに京都まで行ってられません。だからこその当日券での勝負だったのでおますが、あえなく惨敗です。

 「かくなる上は・・・」と、残り4日間の前売り券をゲットし、初日は引き下がりました。
 前売り券は1枚250円。合計1000円。今から思えば、ウソみたいな価格でおます。
 以後、無事、4日間のイベントに通うことはできたのですが、連日、場内はほぼ満席で、果たして札止めが再度あったのかどうかは知りまへん。

 2日目は「雨月物語」(溝口健二監督、1953年、大映京都)と「素晴らしきヒコーキ野郎」(ケン・アナキン監督、1965年、アメリカ)で、トークは脚本家の依田義賢さん。

 3日目は「五番町夕霧樓」(田坂具隆監督、1963年、東映東京)と「ローマの休日」(ウィリアム・ワイラー監督、1953年、アメリカ)。トークは小説家の水上勉さんで、水上さん、トークの後、自分の小説が映画化された作品を観客と一緒に観てはいましたが、なぜか、安藤孝子はんが同行してはりました。今はお茶屋の女将さんになってはりますが、そのころ、芸妓でテレビの「11PM」で名前が知られた人で、鶴田さんの弟の奥さんでおますな。

 4日目が、いよいよ「反逆兒」の出番でおました。
 語りは、伊藤大輔監督。監督、自作を語るの一幕でおます。
 「反逆兒」の原作、大佛次郎の戯曲「築山殿始末」との出会いから映画各社への映画化の売り込み、三郎信康を主人公にするならの条件で東映で映画化が決まったことなど、映画「反逆兒」誕生のいきさつを伊藤監督は話されていました。

 その時は全然、想像もしていなかったことでおますが、この日のことが、わが敬愛する加藤泰監督と知り合う遠因になったんですね。不思議なもんでおます。

 ラスト5日目は「切腹」(小林正樹監督、1962年、松竹京都)と「Z」(コスタ・カブラス監督、1969年、フランス)でおました。トークは「切腹」を脚色した橋本忍さん。
 本来の目的が前日であったため、残り1日の京都通いは付け足しのようになりました。

 冒頭の画像に掲げたチケットは、「反逆兒」の時のチケットでおます。


 
 

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