2009-08-16

新伍の大殺陣

ちゃんばら行進曲



 山城新伍さん、あちらの世界へ引っ越しされましたね。
 70歳。まだ、わこおます。
 くしくも、その日、鶴田浩二をしのぶ23回忌パーティーが開かれたそうで、なんか因縁めきますね。

 この2人、1960年代から70年代にかけて、映画でぎょうさん共演しとります。
 せやから、鶴田のおじさん、
 「新伍よ、もうええやろ。思う存分、テレビで暴れたやろ。もう、こっちへ来いや」
 と誘いの手を差し伸べたのかもしれません。
 ま、新伍自身は鶴田派いうより、若山富三郎派でおましたけど・・・。

 それにしても大原麗子に続き、芸能人としては劇的な去り方でおました。
 芸能人ではないわれわれにすれば、かなり寂漠感漂う最期ではありますが、名前が知れてなんぼの芸能人にとっては、線香の火がいつの間にか消えていたというような去り方では逆にさみしおます。
 ただし、本名の渡辺安治さん個人としては、どうであったか、それは誰にもわかりまへん。

 結婚と離婚を2度繰り返した元妻の花園ひろみと娘は、山城新伍の引っ越しに関し、一切表面に出てきておりませんが、それもええことでんな。
 下手に出てきて思い出話でもしようものなら、テレビのワイドショーの格好のえじきでおます。

 山城新伍と花園ひろみは、東映ニューフェイスの同期生で、60年代の東映時代劇で何本か共演していますが、新伍が惚れて惚れて惚れぬいて、めでたく花園ひろみとゴールインしたと聞いておりますが、かつて、山城新伍は自分の座長公演の舞台で、妻となった花園ひろみをモデルにしたヒロインを登場させたことがあります。

 それが「山城新伍特別公演 『泣き笑いチャンバラ一代』より ちゃんばら行進曲」でおます。
 大阪では難波の新歌舞伎座で上演されました。
 1985年5月公演でおます。
 はや~、もう24年も経ってますやん^^

 
 「泣き笑いチャンバラ一代より ちゃんばら行進曲」は、時代劇スターを目指して東映京都撮影所から俳優生活をスタートさせた山城新伍の、チャンバラへの思いの丈を盛り込んだ舞台でおました。

 逆説的にいえば、時代劇スターを目指しながら、ついに、その夢を果たせなかった彼の滅んでしまったチャンバラ映画へのオマージュでもありました。

 新伍さん、1959年から翌60年にかけてテレビ映画の「風小僧」「白馬童子」で一躍、時代劇の若手スターとなりましたが、その後があきまへん。

 後年、テレビ番組の司会者として人気を誇っていたころ、自らを「第二の大川橋蔵だった」とギャグっておりましたが、まさにそう。目張りを入れ、眉をキュっとりりしく描けば、端正な二枚目顔で橋蔵ほどの美貌とはいえないまでも、やや太りじしながら、若侍いけました。

  ところが、「風小僧」「白馬童子」でテレビでこそ人気者にはなりましたが、肝心の映画では、さっぱり主演作品がおません。あっても準主役級、もしくは若手スター勢ぞろいの作品の勢ぞろいした中の1人であったりして、そのころ、ニューフェイス一期先輩の里見浩太郎(現・浩太朗)は単独主演が続き、先を走っておりました。
 おまけに、後から登場してきた二世スターの北大路欣也、松方弘樹などにも追い抜かれていき、まさに「あ~とか~ら来~た~のに追~い越され~」と水戸黄門状態でおました。

 やがて、時代劇全盛の時代は終わり、所属する東映の商品はやくざ映画一色となります。
 新伍さん、そこで一計を案じたんでしょうね。
 主役を張れる器量でないなら、ワキで攻めたろやないか、と。それも、ただのわき役やおまへん。多分にコメディーリリーフの要素を持ったワキでいったろやないか。
 以後、やくざ映画の中にあって新伍の役どころといえば、悲運に泣いたり、途中で敵側に殺されてしまったりするような役ではなく、2.5から多分に3が入った役どころをまい進しました。

 話を元に戻します。
 「ちゃんばら行進曲」で新伍は銀幕のチャンバラスターを演じています。そのスターの一代記でおますが、映画でチャンバラスターになれなかった新伍は、この舞台で恨みを晴らすがのごとく、大殺陣を見せています。 
 それが終幕で、新選組隊士や捕り方を向こうにまわし、髪振り乱し、戸板をかいくぐってというように無声映画「雄呂血」(1925年)のバンツマも真っ青の大立ち回りを見せております。

 もう一つ、この舞台作品の誕生のきっかけになったことがおます。
 これはよく知られており、新伍も自分の著書で触れておりますが、ある小さな老人ホームに入所してきた老人の話でおます。
 ある日、ほかの老人たちとテレビを見ていたその老人が、なにかのことで「俺は市川百々之助やったんや」と言い出しました。
 
 市川百々之助―。これまた、無声映画のころ、一時代を築いたチャンバラスターでおます。スターとしての人気が衰えてからはわき役にまわり、戦後は最初、百々木直として、のちには堂々と市川百々之助を名乗って東映時代劇で三線級のわき役として顔を出しとります。
 
 当然、周囲の老人たちもその大スターを知っている年代の人ばかりですが、そんな大スターがこんなちっぽけな老人ホームに入っているわけがないと、てんで相手にしなかったそうです。それでも、周囲が相手にしなければしないほど、自分は市川百々之助だったと言い張ってやまなかったそうです。

 その老人がかつての大スターだったのかどうか、真偽のほどはわかりませんが、もし、本人だとしたら、意識は老いてなお栄光の時代の中にいることに、新伍は役者の業を感じたそうです。
 このエピソードは舞台の中に生かされております。

 せやけど、皮肉ですよね。
 大スターの名前を名乗っていた老人ホームの老人の話が、チャンバラスターの一代記を描いた作品につながり、その作品にに主演にした役者が老人ホームで一生を終えたとは・・・。

 さて、花園ひろみをモデルにした役は、京園めぐみという華やかな名前のスター女優として登場し、主人公、倉田典十郎(鞍馬天狗の倉田典膳のモジリですな)のマドンナでおます。土田早苗が演じておりました。
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ニュースの門番さんへ

初めまして。ご訪問、ありがとうです。
山城新伍とか松方弘樹とか、前世代のスターさんの遊びの実態を知っている最後の世代で、俺たちも・・・と派手に遊んだところ、時代は違っていたんですね。
だから、小粒にならざるを得なかったというようなことも。
平成も21年。昭和は遠くなりけりです。

初めまして、愛読者です

>山城新伍とか松方弘樹とか、前世代のスターさんの遊びの実態を知っている最後の世代で、俺たちも・・・と派手に遊んだところ、時代は違っていたんですね。
だから、小粒にならざるを得なかったというようなことも。

失礼ながら、昔の邦画を見ているので、同じ事を感じました。日活でいえば、渡哲也、高橋英樹辺りが、そうですよね。時代が時代なら、自分が「スター」なのに、気づいたらテレビが主役で、芸能界の主役は「アイドル」になっていて・・・・・・という所でしょうか。ぎりぎりで間に合った、高倉健さんや吉永小百合さんは、後の時代になったら、日本芸能界で最後に「スター」という扱いを受けた方々と言われるでしょうね。

名無しのごんべいさんへ

初めまして。
ご愛読、ご訪問ありがとうです。

最近はノースター世界といいますが、テレビの影響で小粒ぞろいの芸能界ですよね。みんな、お行儀がよくなり、はみ出したら仕事なくなるみたいな^^
これは芸能界に限ったことじゃないけど。

気まぐれ更新のブログですが、これからも暇な時はのぞいてみてください。
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