2009-01-20

さようなら、お龍さんの「緋牡丹博徒 仁義通します」

phb08_convert_20110117091910[1]


 わがごひいき、藤純子引退の年を迎えた早々(1972年1月)、この「緋牡丹博徒」シリーズの最終作「仁義通します」が封切られました。
 でもね・・・、2度目の左褄の観は拭えません(左褄の意味がわからない人、自分で調べてみてくださいね)。

 シリーズ前作「お命戴きます」で、緋牡丹お龍を育て、慈しんだ加藤泰や鈴木則文らによって「お龍さん、あんたも人殺しだったんだよ」と、緋牡丹のお龍さんは引導を渡され、厳密にはシリーズは終了していたのに、「もう1回、ファンのためにやろうよ」と製作会社の営業がらみでシリーズ弟8作「仁義通します」が生まれたわけでおますな。

 ファンとしては、引退へのカウントダウンが始まっており、純子映画を楽しめるのも、あとわずか・・・だったので、1本でも多くの純子映画を観ることができるのはうれしいことだったのですが、この映画、イントロ部分が終わると、なかなか純子が登場しないという困った映画でもありました。

 脚本・高田宏治、監督・斎藤武市というのも、この最終作が「はみご」的な印象を与えている一因なのかもしれまへん。


 「緋牡丹博徒 仁義通します」の主な舞台は年の瀬が押し迫り、やがて新年を迎えようとしている大阪でおます。

 冒頭、クレジットタイトルで、この作品のために藤純子が新たに歌い直した主題歌が流れ、タイトルが終わると、例によって、旅先のやくざの一家の土間で、お龍さん、一宿一飯の恩義を求めて仁義を切ります。
 そこで知り合うのが、先に草鞋を脱いでいた日露戦争帰りの旅人、菅原文太です。
 お龍と同じ部屋に泊まることになり、自分の蒲団を抱かえて部屋を出ようとする文太に、お龍は言います。
 「旅中、どこでも女の扱いば受けておらんとです」
 文太が切り返します。
 「あんたは、どこから見ても女だよ」

 かつて、1作目でも同じようなセリフを高倉健の旅人がお龍に投げかけていましたが、8作目では1作目の時のような切迫感はあらしません。あ、そうってなもんでおます。

 さて、純子と文太の出会いのためのイントロが終わると、いよいよ本題に入ります。
 ところが、待てど暮らせど、待望のお龍さん、なかなか登場いたしません。
 
 最終作は、1作目に登場し、お龍の叔父貴になる大阪・堂島に縄張りを持つお神楽のおたか(清川虹子)率いる堂万一家の内紛を描いています。
 おたか親分は病床にあり、子どもがいないため、跡目を継ぐのは誰か、注目されています。
 跡目争いはええんですが、「待てよ、おたかはんには子どもおったやん」というのが1作目から観ているファンの疑問でおます。
 ちょっと頭は瓶詰めながら、吉太郎(山城新伍)という息子が1作目に出ていたはずなのに、おたか親分は「わてが石女やったさかい・・・」てなことを言ってるんですな。

 堂万一家の後継者と目されているのは松方弘樹と待田京介の2人で、ここらあたりの物語の設定が描かれるため、われらがお龍さん、出番がおまへん。
 ようやく登場するのは30分ほどたってからで、舞台はキタのお初天神の境内でおます。
 待田京介の子分の汐路章たちに絡まれた松方の子分の長門裕之らを助けに現れたのがお龍で、俯瞰ショットで「パパパパ、パパパァーン」と気恥ずかしくなるような音曲入りでおます。

 以後、例によって、お龍さん、叔父貴の一家の内紛を収めるため、孤軍奮闘です。内紛には文太と松方が日露戦争の戦友であるだの、松方の恋人(光川環世)がおたかの亡夫が外に作った娘だの、それを知った松方が恋人と別れようとするだの、長門の女房(三島ゆり子)が待田の妹であるため、板ばさみで自殺してしまうだの、縦糸に対する横糸もつづられていきます。

 重鎮・片岡千恵蔵までが登場する内紛劇ですが、ラスト、抗争で死んだ文太を腕にかかえた兄貴分の熊虎(若山富三郎)を後ろに従え、高張提灯のあかりの中、千恵蔵親分に見送られながら、よろめきつつ彼方の闇に消えていったお龍さんは、どこへ行ったのでおますやろか?
関連記事

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

仁義通します

脚本には?な点もありましたが、藤純子の演技に
成熟がみられたのではないでしょうか。菅原文太と
雨宿りをしているシーンで、からかうような目つきで
菅原を見る表情など、ハッとするものがありました。
また、雪でシリーズの最後を閉めるというのも
ファンには嬉しいサービスと思いました。

ところで、最後に純子が下っていった坂は
”人生劇場飛車角”で、最後に鶴田が駆け上った
坂とおなじではないでしょうか?

さようなら、お龍さん

A.K.さん、ご訪問ありがとうございます。
 ま、なんちゃかんちゃ言ってもファンにとっては、最後のお龍=純子でしたからね、顔見ていれば満足っていう面もありました^^
 ところで、ラストの坂道ですが、残念ながら「人生劇場 飛車角」に出てくる坂道の使いまわしではないんですね(推測)。非常によく似たセットの作りですが、片や1963年の映画、片や9年後の1972年。しかも、「飛車角」は東映東京撮影所、「仁義通します」は東映京都撮影所で、「飛車角」の坂道の部分が京都撮影所で撮影されたとしても(「昭和残侠伝 血染めの唐獅子」が一部、そうでした)、あのセットが9年間も残されているとは考えられない・・・ですよね。それに、よくよく見れば坂道のうえにかかる橋の造りがちょっと違いますよね。

そうでしたか、違いましたか。
ご教授ありがとうございました。
プロフィール

青山彰吾

Author:青山彰吾
 日本映画を中心にしたコーナーです。
 ただし、取り上げる映画は偏っています^^
 
 

最近はこんなんです^^
ゲストのひと言
テーマ紹介
FC2カウンター
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

在庫の記事