2008-06-12

誕生40周年記念の「緋牡丹博徒」

 わがごひいき、藤純子主演の「緋牡丹博徒」シリーズが、この世に誕生して、この6月で満40周年になります。

 あら、もう、いつの間にか40年もたってたのね、でございます^^

 40年といえば、人間なら、もう立派な大人で、子どもの1人や2人に恵まれている年ごろですね(お子さんのいない方、すみません)。

 「緋牡丹博徒」シリーズの第1作は、1968年6月に封切られました。昭和でいえば43年。あのころ、ボクは・・・という話よりも、昭和43年は「明治百年」といわれた年です。同じ題名の記録映画も作られてます。
 明治元年、つまり、明治維新が1868年ですから、昭和43年はきっちり100年目です。2年後に大阪・万国博を控え、産めよ増やせよじゃありませんが、日本の経済力がウナギ登りに上昇していた時代でおます。

 そんな時代背景を背負って、ヒロイン・矢野龍子こと、緋牡丹お龍がわれわれ(当時の任侠映画ファン)の前に登場しました。


   ご当家の親分さん、御姐さん、陰ながらの仁義はご免こうむります。
   向かいます上さんとは今日こう初の御意得ます。
   従いまして、拙ことは肥後熊本にござんす。
   熊本は五木の生まれ、
   姓名の儀は矢野龍子、またの名を緋牡丹のお龍と発します。
   ご披見の通り、しがなき者にござんす。
   行く末、お見知りおかれまして、よろしくお願い申し上げます。

 記憶を辿って、第1作の冒頭、ヒロインが発した挨拶を記してみましたが、これで間違いおまへんな?

 義理欠く、恥掻く、人情欠くと言われた東映の三角マークが岩に波頭がザブーンの映像に重なる商標マークの後、画面がフェイドインすると赤い照明のホリゾントの前に着物姿の女性が仁義を切る格好でうずくまり、まずは観客の皆さんに上記のような紹介の挨拶があります。

 はい、これが火の国女の緋牡丹お龍が最初に姿を見せるショットです。

 当時、若手女優として実力をつけてきた藤純子の、これが主演2作目でおます。
 この1作目が好評で、以後、女優を引退する1972年までに7本のシリーズが製作されます。
 そればかりでなく、おまけとして1970年には、このシリーズで緋牡丹のお龍と兄弟分になる熊坂虎吉(若山富三郎)を主演にした「シルクハットの大親分」「シルクハットの大親分 ちょび髭の熊」(監督はともに、鈴木則文)にも応援出演し、都合、藤純子は10本の映画で緋牡丹お龍に扮しております。

 この年、藤純子は鶴田浩二主演の「博奕打ち 総長賭博」(監督・山下耕作)で「人殺し・・・」とつぶやく悲劇の女を演じ、「尼寺(秘)物語」(監督・中島貞夫)という映画で仏道と煩悩のはざまで苦しむ尼僧役を演じて初主演を果たしています。
 続く主演作「緋牡丹博徒」で、1本立ちの主演女優としての地位を築くことになります。

 女性が主役のやくざ映画の登場はなにも、この「緋牡丹博徒」が最初ではなく、当時、大映で江波杏子主演の「女賭博師」シリーズ、数本しか製作されなかったけれど、日活で野川由美子主演の「賭場の牝猫」シリーズが先行しております。
 「じゃ、うちでも・・・」と、東映も考えたのでしょうね。鶴田浩二、高倉健で支えてきた任侠映画のさらなる隆盛を願って新たな企画にプロデューサーたちが頭をひねったのは想像に難くありません。

 やくざ映画という男社会のドラマの中で脇役でしかない女性を主役に据えて男たちと伍していくという、やや倒錯的な興味もさることながら、ここには日本の商業演劇で伝統としてあった女剣劇の発想があったことも推測されます(テレビで時々、見かける浅香光代さんは女剣劇出身のスターでおますな)。
 ただ、「緋牡丹博徒」シリーズの成功は、旧来の女剣劇の芝居と異なり、主役の女性を男にしなかった点が挙げられます。
 着物姿の女性が群がる野郎どもの中に躍り込んで太刀を振り回したり、ピストルをぶっ放したりという、およそ現実離れしたドラマ設定ながら、緋牡丹のお龍は「女」だったのです。決して、どこかの女性議員さんのように言葉、行動で男ぶることはなかったし、ましてや性同一性障害でもありません。

 1作目を監督した山下耕作に、かつてインタビューした時、山下監督は「締め付ければ締め付けるほど、女が出てくる。そういうとこを狙った」と発言しています。
 映画の中でも、お龍は旅先で知り合った旅人のやくざ(高倉健)から言われています。

 「お前さんは、どこから見ても女だぜ」

 このひと言に対して、お龍は「私は女じゃなか、男たい」と必死の形相で反論しますが、その反論自体が、すでに女であることを認めている、あるいは認めざるをえないことに地団駄を踏んでいる証明でおますな。

 続けて健さんは言います。
 「仇討った後のおめえさんに何が残るんだ? 男の俺でさえ、つくづくいやになる時があるのに、まして、そうやって片意地張ってるおめえさんを見てると・・・」
 この言葉に、お龍ちゃん、もう反論できません。

 このやり取りからでも分かるように、「緋牡丹博徒」は女のドラマとして出発しとります。
 ここには主演女優の意向も反映しています。

 藤純子が引退し、結婚して寺嶋純子さんとなってから、「緋牡丹博徒」シリーズ生誕10周年を記念して、大阪でリバイバル上映がありましたが、そのパンフレットを作製する際、寺嶋純子さんに「緋牡丹博徒」を振り返ってもらい、インタビューしたことがあります。その中で、かつて主演した本人が、こう証言しています。

 「最初はもろ肌を脱いでっていうすごいことだったんですが、それを片肌だけにしてもらい、お龍の女としての側面を入れてもらうようにしましたね」

 このひと言が正解だったんですね^^

 さきほど、緋牡丹のお龍を「お龍ちゃん」と呼びましたが、この1作目は「お龍ちゃん」としか呼びようがない、お龍のやくざ社会へのデビュー話です。
 熊本の五木で、やくざの家の娘に生まれながら堅気の娘のように育てられたお龍が、父親(村居京之輔)が辻斬りに殺されたのがきっかけで、親の仇を追い求めるようになります。
 父親が殺されて決まっていた商家への嫁入りの話も流れてしまい、敵討ちを覚悟したお龍ちゃんはやくざの世界に身を投じ、大阪で同じやくざの一家で親分となっていた仇(大木実)とめぐり会い、めでたく恨みを晴らすまでのドラマです。
 その間、お龍ちゃんはさまざまな人とめぐり会います。
 仇の証拠の財布を持って消えたり、現れたりする高倉健、のちに兄弟分となる四国・道後の熊坂虎吉、その子分の不死身の富士松(待田京介)、虎吉の競争相手で、お龍ちゃんが片肌を脱いでタンカを切る親分(金子信雄)、その知り合いで、のちにお龍ちゃんとも縁を持つ大阪のお神楽のおたか親分(清川虹子)などなど、1人の未熟な人間が社会に出て、さまざまな人と出会って社会経験を積んでいくという、ごく当たり前のことを、お龍ちゃんも経験していきます。

 「緋牡丹博徒」第1作は、そんなドラマですね。
 個人的には、やくざとなったお龍の活躍より、映画の前半とラスト直前に出てくる回想シーンが好きですね。
 とりわけ、後半は唯一の子分(山本麟一)のいまはの際に出てくる回想ですが、お龍ちゃんの歌う「五木の子守唄」に載って、やくざになる以前のさまざまなショットのお龍ちゃんが出てきます。
 これは絶対の見もので、寺嶋純子さんにも言ったことがおます^^

   
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No title

ご無沙汰しています。
月並みですが、月日のたつのは早いですね。もう、40年ですか、「緋牡丹博徒」がこの世に誕生してから。私もあの回想シーンがすきです。可愛いお龍さん。男勝りになろうとしても、どうしても女だったから、お龍さんがよかったのだと思います。
ところで、シリーズは8本ですよ。全部のタイトルを言えるかな?と思ったら、『二代目襲名』でつかえてしまいました。シリーズ中一番の違和感があって(駄作いといいたい)、ほとんど忘れていました。

No title

久しぶりのご訪問、ありがとうございます。
8本のタイトル、緋牡丹博徒、一宿一飯、花札勝負、二代目襲名、鉄火場列伝、お竜参上、お命戴きます、仁義通しますですね^^
これから1本ずつ記していこうと思っていますので、向後、よろしゅうおたの申します。
シリーズは8本ですが、番外として2本追加して、10本の映画で緋牡丹お龍に扮したと述べているはずですが・・・。

No title

すみません、読み流したので「以後、7本のシリーズ」を「シリーズ7本」と勘違いしました。私は番外編2本を見ていないので、日本に帰ったらDVDをレンタルするつもりです。
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