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2008-04-10

女の子が突っ走った「浪華悲歌」

 大阪・道頓堀筋から芝居小屋が消え、お笑いの小屋が消え、映画の小屋も消えて、この7月には食の殿堂「くいだおれ」も店じまいするということでおます。
 その店の前で、道頓堀名物の一つで、およそ60年、道頓堀筋を行き交う人々に愛嬌を振りまいてきた、くいだおれ太郎もとうとう定年退職になるようです。お疲れさんでした。

 街って、こういうふうにどんどん変わっていくのでしょうね。
 長年なじんできた親しみのある街の一角が消え去ることへの愛惜の気持ちもわからないではありませんが、なくなったものの跡に次の新しいものが現れ、何十年か経って、また選手交代する。こうして、街は生き続けていくんですね。もっとも、最近は選手交代のサイクルが早すぎて、十分街になじんでいた・・・とは言えまへんけど。

 変わったといえば、「くいだおれ」からすぐそば、道頓堀に架かる戎橋、別称・ひっかけ橋もころっと変わってしまいました。
 平成の戎橋やら言うて、相変わらずグリコのおにいさんがバンザイしながらネオン、チカチカしている姿ををバックに善男善女が記念撮影しとりますが、この橋も阪神優勝で興奮したイチビリのダイビングが続出したことや、別称の通り、ナンパの名所となったことなどで、すっかり全国に有名になりました。

 今から72年前のある夜、この戎橋上で欄干にもたれて、道頓堀の水面を見つめている女の子がいました。
 しゃれた帽子をちょこんと頭に載せ、当時まだ珍しかった洋装をしとります。
 名前は、アヤ子。
 彼女はたった今、家を飛び出してきて広い大阪の街で、どこにも行くアテがなく、行き暮れております。


 「行き暮れて、ここが思案の善哉かな」と謳ったのは織田作之助ですが、アヤ子には夫婦善哉を楽しむ相棒もおりません。
 道頓堀の水面を見つめながら、たばこをくわえるアヤ子を見咎めて、通りかかったおっちゃんが声をかけます。ナンパと違います^^ おっちゃんは顔見知りの医者です。
 「いよう、どないしてんね。何してんね、こんなところで」
 まぁ、この問いかけは当然ですわな。知り合いの女の子が夜の戎橋で一人でたたずんでいたら、誰でも、こう切り出します。おっちゃんはアヤ子の沈んだ様子を見て言います。
 「病気と違うか」
 すると、アヤ子は自嘲気味に答えます。
 「まぁ、病気やわな。不良少女ちう立派な病気やわ」

 もう、お分かりのことと思いますが、これ、1936年に公開された溝口健二監督の「浪華悲歌」のラストシーンですね。
 この作品は、その後、溝口健二と溝口映画の脚本家として長い付き合いを持つことになる依田義賢との最初の作品で、依田義賢によれば、この作品は「三枝子」(岡田三郎・作)という小説をヒントに、若い女の転落していく姿を、という溝口健二の要求に従って描いた作品ということです。

 溝口さん、この作品でも周囲の男たちに振り回されて、どんどん窮地にたたされていくアヤ子という女を冷たく見つめています。そして、この女の周囲に実の父親や兄をも含め、彼女を食い物にしようとする男たちを配しています。
 アヤ子に扮したのは山田五十鈴。この当時、山田五十鈴は同じ溝口健二監督の「祇園の姉妹」にも主演し、両作品ともども映画女優としての名前を映画史に残しております。

 アヤ子は大阪の製薬会社の電話交換手でした。同じ会社に勤める西村(原健作=のちの原健策)という恋人もいました。今なら、どこにでもいそうなOLですよね。
 そんな彼女が、なぜ行き暮れてしまったのか?
 
 父親(小泉嘉輔)が会社の金を使い込んでしまったのですね。それが発覚して父親は会社をクビになり、家でくすぶっています。くすぶっているだけならいいのですが、使い込んだ300円の返済を求められています。300円、今の貨幣価値にすると、いくらになるのか、わかりまへん。ともかく、すぐには返せないほど、大金であることは分かります。
 家に借金取りが来ると、父親はコソコソと押入れに隠れてしまい、借金取りが帰ると「会社が潰れかける時に、わいが救ってやったんや・・・300円くらいな金、棒引きにしたかてええねや」と大口をたたき、妹娘(大倉千代子)に「こんなとこで空威張りしたかてあけへんがな」と呆れられています。
 この光景、いつの時代でも同じですね^^

 アヤ子は、この父親の一件で悩んでいます。ささやかなOLの給料で返済できる金額ではありません。恋人の西村に相談してもラチは明きません。思い悩んだアヤ子は、ついに決心します。
 会社の社長(志賀廼家弁慶)に借金の肩代わりをしてもらうかわりに、社長の愛人になります。好色な社長は二つ返事で承諾し、アヤ子はアパート(映画ではパンション)に囲われることになります。もちろん、家族や恋人には秘密ですが、アヤ子の転落の始まりですね。

 家族や恋人にばれないよう、綱渡りのような生活の中、ホッとひと息のアヤ子に、次なる転落のきっかけが襲ってきます。
 地下鉄で偶然出会った妹から、東京で学生生活を送っている兄(浅香新八郎)が学費が足らず、目前に迫った卒業ができない状態にあることを聞きます。兄は学費の不足を父親に頼ってきてきるのですが、青息吐息の父親はどうすることもできません。
 
 ここでまた、アヤ子は一計を案じます。
 社長の知り合いで、自分に好意を持っている藤野という男(進藤英太郎)に目をつけます。藤野から金を引き出すため、西村をも利用して、とうとう美人局(つつもたせ)まがいのことをやるのですが、藤野に警察へ通報されて御用となってしまいます。事件は新聞ダネになり、西村はアヤ子に恐れをなしてゲロし、アヤ子は釈放され、迎えに来た父親に連れられて家に帰ります。

 うちひしがれたアヤ子は、家族だけは温かく迎えてくれるだろうと期待しますが、家族はさらに追い討ちをかけます。
 アヤ子の尽力で大学を卒業し、就職も決まった兄は「お前みたいな不良は兄弟でも何でもあらへん」と言い放ち、それまで姉を案じていた妹も「あないに大きいに新聞へ出てしもうて、お友達にも顔合わされへん」とアヤ子を責めます。そして最後に娘かわいさにウジウジしていた父親までもが息子にせっつかれて「情けないことをし出かしよって、親不孝な・・・」とつぶやきます。

 ここまで聞かされたら、アヤ子、大爆発です。
 「よういわんわ。家へ帰って、こんな目に会うなんて。ほんまに思いもせえへなんだ。あほらしい。気持ちようしてくれると思うて帰ってきたのに。こんなんやったら帰らん方がよかった」
 怒り心頭、悲哀のどん底のアヤ子は、そのまま家を飛び出し、冒頭のラストシーンへ映画はつながっていきます。

 アホでんな、アヤ子ちゅう女の子は。
 でも、かわいいですよね。どんなに悪いことをしても家族だけは温かく迎えてくれるだろうと期待したのはアヤ子の奢りであり、その根底には父親のためにも兄のためにも、これだけのことを「してやったんだ」という思いがあったからに違いありません。
 
 若いOLが即座に大金を用意できるはずもなく、「しゃーないな」と自分を犠牲にしたのはアヤ子の先走りですね。おっちょこちょいな行動です。
 かといって、手をこまねいていては父親も兄も自分で金を用意できる能力はなかったのです。父親も兄も自分を省みない身勝手な言動ですが、結局、自分たちが指示していないとはいえ、娘、妹という一人の女性を食い物にした男たちですね。
 ここに、生涯、女性に対して贖罪意識を持っていたという溝口健二の映画に共通しているテーマが見て取れます。

 それにしても、アヤ子の「しゃーないな、うちが何とかせんことには・・・」という思いは、織田作之助の小説「夫婦善哉」のヒロイン・蝶子に共通しています。大阪のおなごはんですな。
 世が世なら、出会う男、事情が違っていれば、アヤ子も蝶子同様、しっかりもんの世話女房になっていたでしょう。

 それにしても、戎橋上にたたずんでいたアヤ子は、その後、どんな人生を送ったのでしょうね?

 
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私は娘の方が…

瑳峨三智子(嵯峨?でしたっけ)っていいですよね。この映画が公開されたころ、すでに山田五十鈴は母になっていたんですか?

No title

ご訪問、久しぶりですね^^
嵯峨美智子と名乗っていた時期もあったんですが、以後は瑳峨三智子ですね。
山田さん、すでに母親になってました。
子持ちの女優が演じたというなら、30年前、この作品のテレビ映画化で、すでに2人の子どもも大きくなっていた中村玉緒が主演していますよね。山田さんが演じた時の年齢より、玉緒ちゃんが演じた時のほうが上でした^^

No title

瑳峨三智子の生涯こそ、まさに「サンセット大通り」。すごく映画的ですね。父親は早逝。母親は、芸のためとはいえ、とっかえひっかえというイメージ。美人女優として華々しくデビュー後、恋人が不慮の事故で死去。そこそこの作品に出演し、好演しながらも、終生、親の七光りと呼ばれ、山田五十鈴という大きな壁を乗り越えられなかった。後年はロマンポルノ出演を承諾(結局、製作されなかったけど、監督は神代辰巳だったとか)したり、クラブのホステスをやっていたりと、なかなか第一線に戻ってこれなかった。最後は異国の地で突然死。訃報を聞いた山田五十鈴は涙に暮れたとか。その山田五十鈴も、ここ数年、表舞台に出なくなりましたね。舞台で相手役を勤めていた田村高廣は、遥かに年下ながら、一昨年他界しましたが、そのお葬式にも出席していなかったような気がします。
追伸 先日、厚生労働省製作の介護関係のビデオに田村 高廣が出演していました。もしかしたらそのビデオが遺作かもしれませんね。

No title

くだんの友人さん、どうもです^^
 うーん、瑳峨ミッチーの生涯って劇的ですよね。自ら進んで破滅の方向へ動いていったような・・・。「サンセット大通り」のスワンソンは頂点に登りつめた女優だけど、ミッチーはまだ途上にあったような・・・。
 日本で「サンセット大通り」のような映画が誕生したらって思っていましたが、ついに実現ならずですね。セシル・B・デビルみたいな実在の監督が本人そのままで出てくるみたいな遊びも日本じゃダメだし、第一、狂気に至る女優の役を演じるスワンソンみたいな女優もおらへんし・・・。
 山田さんは、きっと老いの身を静かに帝国ホテルの一室かどこかで養っていると思いますね。もう90歳ですもん。

勉強になるな~

青山さん、くだんさん、お二人とも、レスつけてくれて、ありがとうございます。おかげでまったくの無駄知識が増えてwww

さて、私が瑳峨美智子の訃報を知ったのは、職場で読んだスポーツ紙の芸能面だったのですが、当時は「うーむ、私の親とタメではないか」とその程度の感想しかありませんでした。
そのとき、トイメンの席にいた映画好きの先輩(ロードムービー、もといマタタビもの好き)は、訃報にふれてもオクビにも出さず、ずーっと仏頂面のまま、黙々とつまらん仕事を片付けておりました。
思い起こせば、カレの心には奇禍に遭い続けた女への哀惜の念があったんでしょうね。仕事が一段落したあと、じっとその亡者記事を読みふけっていましたから。

No title

カノカノエさん、へぇー、そういうことがあったんですか。
くだんさんも述べているように、数奇なるがゆえに、女優の数奇な運命を求めて、「私は実は山田五十鈴の娘だ」と公言した女優がいましたよね。
今では、その女優さんも亡くなってしまい、そういうエピソードがあったことも忘れ去られていますが、その時、山田五十鈴はいっさい発言せず、その女優さんの実の母親も、そのことに関して何ら発言しなかったのは立派。
その女優さんの身近にいた人たちは「なぜ、いきなり、そういうことを言い出したのか」って戸惑っていました。

No title

ちなみに、山田五十鈴さん、帝国ホテルは引き払ったみたいですhttp://www.geocities.jp/noa6171/recentwork/yamada/yamadaisuzu1.htm

No title

カノカノエさん、情報ありがとうございます。相変わらず、そこかしこのHPで遊んではるみたいですね。ボクや、くだんさんが雑学を知らせなくても、ご自分で雑学の宝庫になっているみたい^^ いや、人間、雑学があってこそですよ、それが一銭にもならなくても、ね。昔から男の子は女の子と違い、しょうもないことに夢中になる性癖の生き物ですからね。
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青山彰吾

Author:青山彰吾
 日本映画を中心にしたコーナーです。
 ただし、取り上げる映画は偏っています^^
 
 

最近はこんなんです^^
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