2007-01-08

「女の一生」を映画で観ると…

 以前から観たいと狙っていた京マチ子主演の大映東京作品「女の一生」(1962年)を念願かなって、ようやく観ることができました。
 といっても、映画館ではないのですが・・・。
 今時、さほど評判にもならなかった40年以上も昔の日本映画をかけてくれる奇特な映画館はありません。これが映画興行形態の悲しいところで、念願の作品との出会いの場は、テレビの映画放送を専門とするチャンネルでした。
 「芸術祭参加作品」と銘打つ(そういえば、最近ではこの表示、とんとみかけません。文化庁はもう、このお祭りをやめたのでしょうか)、この映画は文芸作品のベテラン、八住利雄の脚本、大映ニューウェーブの旗頭であった増村保造の監督によるモノクロ作品です。


 

 「女の一生」といっても、モーパッサンの同名小説の映画化作品ではありません。
 大阪出身の劇作家、森本薫の戯曲をもとにした映画です。というより、舞台女優、杉村春子の代表作といったほうが分かりやすいですよね。
 太平洋戦争末期、軍部の委託を受けて森本薫が上演用作品として書き上げた作品ですが、軍部委託という有利な立場を生かし、この劇作家は当時、愛人関係にあった杉村春子に当てて書いた、杉村春子のための作品ともいえます。一人の男がちゃっかり、愛し合った女優に捧げ、オマージュしているわけですね。

 そんな作品ですから、これまで舞台では杉村の生前、ずっと若い後輩の平淑恵が主演したほか、ほかの女優はこの作品の主役としては触れていません。杉村の死後、やはり、平淑恵主演で再演されていますが、それは小説家が死ぬと、その小説家の作品が書店の店先に急に並んで売りに出されるのに似て、以後は続かず、舞台では封印された作品となっています。
 この作品の著作権はとっくに切れているので、基本的に自由に上演できるようになっていますが、ほかの作品とは異なり、この作品だけは誕生の動機が動機だけに、やはり、お春さんだけのための作品なのでしょう。

 映画・テレビの映像のほうでも、これまで、それぞれ1回しか映像化はされていません。映画は京マチ子主演、テレビでは1965年、NET(現・テレビ朝日)系列で「ポーラ名作劇場」の一環として岡田茉莉子主演で放送されています。
 そうして、ようやくめぐり会えた映画版「女の一生」は「ありゃ!」の連続で、泉下の森本薫もびっくりしているのでは・・・。
 出来がいい、悪いというのではなく、原作の持つキーポイントともいうべき部分がほとんど、はぐらかされています。むろん、舞台作品と映像作品は別物ですから、同じ原作であっても、映像の作者たちには作者たちなりに造りかえる意図はあって当然ですが、外してはいけないキーポイントがずれていたのでは・・・、ねぇ。

 「才女」という歌がありますね。日本名では「才女」ですが、「アーニーローリー」です。冒頭、流れるこの歌に引き込まれるようにしてヒロイン・布引けいの一生が始まり、この歌が流れることによってラストシーンで、ヒロインは長年、深い因縁に結ばれていた男性と大団円を迎えることになるのですが、冒頭はともかく、ラストでは、この重要な歌が生かされておらず、はぐらかされてしまいました^^

 ヒロイン・けいを時に温かく、時に厳しく見守る男性(小沢栄太郎)が登場します。この男性は、けいがかかわる兄弟(高橋昌也、田宮二郎)の叔父ですが、この叔父さん、独身で、しっかり者で男勝りのけいに理想の女性像を見い出し、忍ぶ愛をやっています。だから、のちにけいが夫(高橋)にも娘(叶順子)にも背かれ、孤独に陥った時もそばを離れず、けいを励まし続けます。
 この叔父さんのけいに対する忍ぶ愛がミソで、隠されているからこそ、お叔父さんの深い想いがリフレーンするのですが、映画ではあっさり、兄弟の母親(東山千栄子)によって観客にバラされてしまい、はぐらかされてしまいました。なんでやねん! です^^
 おまけに、この叔父さん、娘に背かれ、失意のどん底にあるけいを励ますのはいいのですが、思わず、わが胸にけいを抱きしめてしまいます。忍ぶ愛の男がこんなことをしたら、忍ぶ愛になりまへんがな。

 この叔父さんは原作では、けいを見守りながらも終始、傍観者の立場を貫いていますが、そんな男だからこそ、次のようなセリフをしばしば口にしています。
 「どうも、人間ってヤツは間違いばかりしでかすもんだ。まるで間違いをするために何かをやっているようだ」
 実に、いい警句ですね。
 この言葉を、けいが夫と別居するようになる諍いの場面でも口にします。
 それまで、けいは夫のため、家のために立ち働き、その自負も大きかったのですが、そんなけいに夫は冷や水を浴びせ、「確かにお前は家のためによくやってくれている。だが、お前に欠けているものがあるとすれば、それは女になくてはならないものだ」と言って、けいのもとから去っていきます。
 そこで、叔父さんの警句が出るわけですが、それを受けて、けいは自分の思いを口にしますが、この作品では有名なセリフです。
 「いいえ、間違いなんかじゃありません。誰が選んでくれたのでもない、自分で選んで歩き出した道ですもの、間違いであると知ったら間違いでないようにしなくっちゃ・・・」
 けいはまだ、この時、30代の女性です。夫の母親に見込まれて嫁となり、家庭や仕事にまい進してきたのですが、そのころは仕事に傾注するあまり、家庭を顧みない女になっています。だからこそ、夫の「女になくてはならないものがお前には欠けている」という意味の言葉が出るのですが、けいは負けていません。けいの、このセリフだけを取り上げると強い意思を秘めた素晴らしいセリフですが、この時のけいは負けを正直に認めない、素直になれない実にいやな女になっています。
 (まだ続きます^^)
 
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