2014-11-19

高倉健、消えゆく時は鮮やかに幕を引く

                       日本侠客伝1 141119

 高倉健が亡くなっていたことは、仕事の昼休み、友達からのメールで知り、その友達のメールには『こういう日が来たね』とおましたが、亨年83、健坊、いい時に行っちゃったねぇ。
 死去の発表があったのは11月18日で、実はおよそ一週間前の10日に既にあちらの世界へ旅立っていたそうでおます。
 一週間経ってからの旅立ちの発表は、おそらく当人の遺志ではなかったか。
 『騒ぐな、慌てるな』と幽冥界を異にした今、健坊はそう言っているのかもしれまへん。

 映画俳優として初めて文化勲章を受章(2012年)したほどの高倉健といえど、自然の摂理には逆らうことはできまへん。亨年83の今でなくても、いつかはきっとあちらの世界に旅立つ時が来る。それは凡百のわれわれにも同じ運命が待っているというものでおます。 
 殊に世間の多くの人に見られる俳優という職業を選んだ者にとっては、世間の耳目の前から姿を消すということは、最後に残った大仕事のような気がしてなりまへん。年老いて、俳優としてわが肉体をさらけ出すこともなくなり、世間から忘れ去られたような存在になっても、かつての栄光の名前だけは残るわけですから、「あの人はどうしてる? 亡くなったの?」となっては人気稼業の身も蓋もないというものでおます。

 その点、健坊は83歳とはいえ、実に鮮やかな引き際をわれわれに見せてくれたと思います。
 それは現役俳優のままで、消えたことに尽きるのではないですやろか。
 高倉健とはいえど、老いには勝てず、顔にシワが刻まれ、白髪交じりの頭髪、ちょっと若いころから目だっていた手の甲の斑点、これらはすべて老年そのもので、しかし、老俳優になったからといって、少しも彼の魅力を半減させるものではおませんでした。むしろ、男の顔は履歴書とでもいうべきものでおました(ただひとつ、入れ歯らしい口元は常に気にはなっていたけれど)。
 もし今、健坊が60代、70代で消えたとしたら、「残念! 無念!」と思い、その早すぎる旅立ちは惜しんでも惜しみきれない出来事になっていたかもしれまへん。 

 高倉健、不思議な俳優でおました。
 彼は1960年代半ばの「網走番外地」シリーズや「昭和残侠伝」シリーズ、「日本侠客伝」シリーズなどで、製作の映画会社を背負って立つほどの人気スターに躍り出たわけでおますが、それ以前からずっと映画デビュー当初から主演を張っていた人でおます。とはいえ、全然人気が出まへん。それでも、なお主演スターでおました。
 普通、デビューして数本、主演映画を撮り、それで話題も人気もなければ「こりゃ、アカンで」となり、映画会社の営業路線からとっくに降ろされてしまい、やがて助演扱いから果ては端役をあてがわれ、やがて人知れずスクリーンから消えていく、そんな俳優が数えきれないくらいいるというのが厳しい現実でおます。
 ところが、彼はアクション映画はもとより、サラリーマン物映画で主演を張り、美空ひばり映画の相手役に起用されたりして、ついには時代劇映画にまで進出し、それでも人気は今ひとつ。兄事した中村錦之助の代役で主演した「昭和侠客伝」(1964年)で思いきった勝負に出たところ、任侠映画が注目されてきた流れもあり、会社を背負って立つほどの人気俳優への足がかりをつかんだのでおます。
 雌伏すること、実に9年。
 不思議な俳優さんとしか言いようがおまへん。

 ところで、テレビのワイドショーなどの芸能ネタで司会者たちがしきりに「けんさん、けんさん」と親しげに呼び、高倉健の話題かいな?」とテレビを見れば渡辺謙のことだったということが罷り通っていた昨今、これでテレビが「けんさん」と呼んでも戸惑うことはなくなりました。
 でも、高倉健の映画を観てきた者にとっては「けんさん」は「健さん」なのでおます。
 個人的には何ら知り合いでもないのに、このしょぼブログでは若いころの高倉健を育てたマキノ雅弘監督に倣い、「健坊」と呼んでも、高倉健さん、怒っちゃダメですばい。


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