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2013-08-27

チラシを見ても映画を観たことにはならねえ20

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 ひさびさに東京に住まいするお友達さんから、映画のチラシが送られてきました。

 上記のようなことを書きかけて丸々1カ月。酷暑だった真夏は「酷暑」ゆえに怠け通し、そのうち、お友達さんから「次のチラシ、溜まってるでぇ~」と早く更新しろよという意味の連絡があり、すっかり怠け癖のついたボクは慌てております。

 前回送ってもらったチラシの特集はとっくに終わっているでしょうが、せっかくだから……。

 東京・神保町で今月上旬まで上映されていたのが「夏休み特別興行 神保町特撮図鑑」でおます。
 まだCG技術などなかった時代、フィルムを重ね合わせたり、つないだりして映像の不思議さを醸し出していたものでおます。今から観れば、映画の先人たちの涙ぐましいほどの努力の結晶でおますな。
 この特集では特撮技術が大いに生かされた怪獣映画はもとより、戦争映画、怪奇・怪人・SFファンタジーの3部門に分かれて上映されたようでおます。
 怪獣映画といえば東宝でおましたが、東宝に負けじとばかり、大映や日活、松竹も追随しとります。
 日活唯一の怪獣映画とされる「大巨獣ガッパ」(1967年、監督・野口晴康)をはじめ、カメが巨大化した大映の「大怪ガメラ」(1965年、監督・湯浅憲明)、15年ぶりにガメラが復活した新生大映の「ガメラ 大怪獣空中決戦」(1995年、監督・金子修介)が並んとどります。
 そして忘れてはならないのが、怪獣映画ではおませんが、永田大映の特撮ヒット映画「大魔神」3部作の2作目「大魔神怒る」(1966年、監督・三隅研次)も登場し、他力本願でしかない弱い民衆を救うため、埴輪から変身した大魔神がノッシノッシと闊歩しとります。

 戦争映画といえば、これも60年代東宝のウリのひとつでおました。
 「ハワイミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐」(1960年、監督・松林宗恵)、「太平洋奇跡の作戦 キスカ」(1965年、監督・丸山誠治)、「潜水艦イー57降伏せず」(1959年、監督・松林宗恵)、「太平洋の翼」(1963年、監督・松林宗恵)、「ゼロ・ファイター 大空戦」(1966年、監督・森谷司郎)など、いずれも特撮総監督に円谷英二を迎え、咳の大戦では日本はかく戦えりという映画でおますが、いずれもラストに用意されている敵鑑、あるいは敵機との壮大、勇壮な戦闘シーンが見せ場の、まだ日本が近隣諸国から「反省しろ!」とは言われていなかった時代の作品でおます。

 そのほか、怪奇・怪人・SFファンタジーでは東映アニメ第1作の「白蛇伝」(1958年」の実写版ともいえる文芸映画監督の豊田四郎による「白夫人の妖恋」(1956年、東宝)や何でもあり~の大映がアメリカ映画「白鯨」の向こうを張った「鯨神」(1962年、監督・田中徳三)や空想科学映画「宇宙人東京に現わる」(1956年、監督・島耕二)が並び、空想科学映画では本家の東宝作品として「世界大戦争」(1961年、監督・松林宗恵)、「透明人間」(1954年、監督・小田基義)、「電送人間」(1960年、監督・福田純」などが上映されたのでおますな。

 阿佐ヶ谷では来月13日まで上映されている「復活!東映ニューポルノのDeePな世界」。
 これぞ、まだ映画会社によって撮影所システムが健全に運営されていた時代の好見本のような映画が並んどります。当時、まだ元気だった日活ロマンポルノのような映画をという構想で、モノはエロ、低予算、ノースター、監督昇進間近い助監督の一本立ちへの試金石という作品でおます。
 中でも割と知られているのが潤ますみ主演の「玉割り人ゆき」2部作(1975年、76年、監督・牧口雄二)でおます。東映映画唯一の名花だった藤純子が消えて数年後、彼女の主演作だった「緋牡丹博徒」シリース(1968~72年)のヒロイン緋牡丹のお龍を彷彿させるナリをした女性が主人公でおます。せやけど、彼女はやくざではおません。遊郭に売られてきた素人娘にプロとしてのセックステクニックを指導するセックスのプロフェッショナルでおます。まだ若いのに、主人公がどうしてセックスのお師匠さんになれたのかは不明でおます。
 にしても、エロ映画にまで緋牡丹のお龍を持ち込むなんて、当時の東映はまだ藤純子病が癒えていなかたんでおますな。
 ところで、この種の低予算映画は、すぐ足元に来ていた撮影所システムの崩壊により終焉を迎え、「人妻セックス地獄」(1974年)や「女高生飼育」(1975年)の監督、本田達男はプロデューサーに転進していくのでおます。当時、一部の映画ファンが持ち上げた牧口雄二(「毒婦お伝と首斬り浅」1977年)やテレビの時代劇映画に関わっていた依田智臣(「処女かまきり」1973年)、監督昇進と引き換えにスト破りで物議を醸した荒井美三雄(「処女の刺青」1976年)らの運命や、いかに?

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 神保町で今月末まで上映されているのが「銀幕の森光子」でおます。
 森光子と映画?? 分かってはる人だったら、こんなものでおますやろね。
 嵐寛寿郎の縁続きの女優として戦前の時代劇映画で娘役演じ、スタートは映画であったにも関わらず、その後、漫才や軽演劇の世界に移り、やがて舞台女優として名を成した森光子と映画はどうも結びつきまへん。テレビなら簡単に結びつくんですけどね。
 事実、どんな映画に出ていたんやろう? と思いは巡らせど、同じように舞台にも映画にも出ていた杉村春子や山田五十鈴の出演映画ならすぐにタイトルが出てくるのに、森みっちゃんの出演映画は出てきまへん。
 特集で取り上げられている17本の作品中、僕が観たのは「喜劇〃夫〃売ります」(1968年、東映、監督・瀬川昌治)と「映画女優」(1987年、東宝、監督・市川崑)の2本きりでは無理ないか……。
 戦後、大阪の軽演劇の女優として舞台やテレビに出ていた森光子が50年代末、東京・芸術座の菊田一夫と結びつくことにより全国区の舞台女優として知られるようになったのは周知の事実でおますな。
 菊田のスカウトにより、それまで出演していた朝日放送の「ダイラケのびっくり捕物帖」の藤田まことの妹役を降板し、妹役を引き継いだのは宝塚歌劇出身で、映画の三枚目俳優、杉狂児の娘、美杉てい子でおました。


               

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