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2013-05-30

「お吟さま」で女が意思を貫く時

              お吟さま 130530

 女優業ばかりでなく、日本の女性監督第2号として監督業にも乗り出した田中絹代の監督作品として最後の映画となったのが、文芸プロダクション・にんじんくらぶ製作(配給・松竹)のこの作品でおます。
 新東宝作品「恋文」(1953年)に始まる田中絹代の監督歴はおよそ10年。今でこそ女性の映画監督は珍しいことではおませんが、当時としては珍しいのを通り越してスター女優が映画を演出することは映画界の大きな話題であっただろうことは簡単に推測でけます。

 映画界に限らず、当時の世の中は男性中心の社会でおますから、明るい話題だけでなく、業界内では珍奇な、迷惑顔の、戸惑いのそんな空気があったことも推測でけます。絵画や伝統工芸などの、発案から製作まで自分ひとりで作品を完成させることができる分野ならともかく、映画はひとりがリキ入れて頑張っても多くの人の手を煩わせるとあれば、なおさら、迎え入れる世界は複雑だったかも、ですね。
 「失敗したら、どないするんじゃ」と一時期、愛人関係にあった溝口健二監督は激しく反対したというし、その溝口の長年の仕事仲間(助監督)で、第1号の女性監督となった坂根田鶴子が映画を撮ったのは1936年という時代でおますから、数回のチャンスを見送った末の女性監督の初登板(松竹下加茂「初姿」)だったそうでおます。

 さて、今東光の原作を溝口健二の弟子に当たる成沢昌成が脚色した「お吟さま」(1962年)は田中絹代の監督作品としては6作目で、キャストはともかく、撮影・宮島義勇、音楽・林光、美術・大角純平など、主だったスタッフは男性の映画で、スクリプターを除けば男ばかりというのも現代とは今昔の差が大きおます。
 絹代さん、小柄な体躯で男性社会に斬り込んでいったのでおますが、スタート時とは映画界の諸事情も異なり、徐々に映画界に余裕がなくなっていったのも劇映画で田中絹代以後、しばらく女性監督の進出を阻んでいた原因のひとつでおますのやろうね。


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