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2015-09-28

久しぶりの「博奕打ち 総長賭博」の疑問

                         総長賭博2120118

 鶴田浩二といえば、僕ら世代には東映任侠映画のトップスターという認識で、少々ウルサ型のおっちゃんで若いころから女性との浮名が絶えなかった典型的な昔のプレイボーイスターでおましたが、僕より年下の友達は任侠映画以降のNHKのテレビドラマで警備員やクリーニングのオヤジといった渋い感じの壮年というイメージが強いそうでおます。そのドラマは今、CSで流れており、僕は観ることはおませんが(観る必要もないかと思っているのも事実)、世代によってイメージが異なるということは、まさに「じぇねれーしょんぎゃっぷ」というものでおます。

 それはさておき…………。

 久しぶりに訪れた書店で見つけたディアゴステーニ発の東映任侠映画傑作DVDコレクション16の「博奕打ち 総長賭博」。
 即買いでおました。
 まさに鶴田浩二主演の、まさにやくざ組織の内部争いのやくざ映画でおます。のちに名コンビとなった監督・山下耕作、脚本・笠原和夫で誕生したのは1968年1月。当時、全盛を極めていた東映任侠映画の正月用作品として封切られたのでおますが、公開当時はさほど問題になることもなく、多くの同種の映画群に埋もれれていたのでおますが、かの三島由紀夫が絶賛し、70年代に入って若い映画評論家の中から再評価の声が上がるや、いつの間にか、加藤泰監督の「明治侠客伝 三代目襲名」(1965年、これも鶴田さん主演の作品)とともに任侠映画のトップに位置する映画に出世したのでおます。

 この作品を初めて映画小屋で観たのは22歳の時でおます。ちなみに、併映は同じシリーズで刺青男が満載の小沢茂弘監督の「博奕打ち 一匹竜」(1967年)と佐久間良子の出世作で田坂具隆監督の「五番町夕霧樓」(1963年)。鶴田浩二の主演映画と佐久間良子の主演映画が同時上映なんて、ムニャムニャ……(笑)。
 それはさておき。
 購入したDVD「総長賭博」をおさらいのつもりで早速、デッキにかけたのでおますが、ちょっと疑問に思う箇所が出てまいりました。
 作品にイチャモンを付ける気は毛頭おませんが……。

 ラスト、一連の揉め事を画策していた叔父貴筋の親分(金子信雄)を刺殺した鶴田浩二が、やり終えた感の表情を捉えたショットで映画は幕になるのでおますが、そのショットにかぶる判決文のナレーションを聞いて「はて……?」となったのでおます。
 ナレーションは、この後の公判で下されたであろう判決文でおますが、その中で主人公の職業を読み上げる下りで『職業 博徒』とおました。あれ、博徒って職業なんかいな? と疑問が浮かんだのでおます。主人公は無職渡世(ぶしょくとせい)の徒で、つまり、やくざ。やくざが職業って聞いたことおません。

 加藤泰監督の「緋牡丹博徒 お命戴きます」(1971年)で、ヒロインのお龍(藤純子)が陸軍大臣(石山健二郎)に面会を求めたシーンで、大臣の副官(五十嵐義弘)から「職業は?」と高圧的に尋問されるところで、やくざであるお龍に応えられるべき職業があるはずもなく、お龍は消え入りそうな表情で「無職渡世でございます」と答えております。
 判決文で堂々と『職業 博徒』って、官は被告人の職業をよく調べたの? でおます。映画の最初のほうで鶴田の子分(曾根晴美)と預かり中のやくざ(三上真一郎)が土木現場でトラックの荷台に乗っているシーンが出てきますが、とすると、鶴田浩二の親分は表向き、土木請負を職業にしていたと考えられます。ならば、土木請負業という、ちゃんとした職業があったやないかでおます。

 さらに出てきた疑問は、鶴田の女房(桜町弘子)の去就でおました。



 



               

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2012-08-18

姐さんも殴り込みに参戦の「関東テキヤ一家」

               関東テキヤ一家120814

 博徒ではなく、香具師(やし)の世界を描いた菅原文太主演のシリーズ第1作(1969年)でおます。
 新東宝の瓦解後、女優天国の松竹に移籍し、自分のキャラクターを生かせないまま腐っていた文太が1967年、男優天国の東映へ引っ越し、当初は「網走番外地 吹雪の斗争」(監督・石井輝男)でワルを演じたり、化け猫映画の「怪猫呪いの沼」(1968年、監督・石川義寛)でもワルを演じたり、若山富三郎主演の「極道」(1968年、監督・山下耕作)で寡黙な子分を演じたりした後の、ようやくの主役登板で、プロデューサーの俊藤浩滋が試験的に主演させたところ、評判がよかったのでおますやろね、シリーズ化され、1971年までの3年間で5作品が製作されとります。

 監督は、当時、中島貞夫とともに任侠映画シラケ派だった鈴木則文で、1975年から始まり、コンビを組むことになる「トラック野郎」シリーズに先立つこと6年の出会いでおます。
 脚本は、笠原和夫とともに任侠映画のシナリオを多く書き続けた村尾昭で、やくざとテキヤはどう違うねんといえば、劇中、誰かが言っている「俺たちは無職(ぶしょく)と違うんだ。立派な商人なんだ」の一言に尽きますな。各地の祭りなどでお馴染みの露店商でおます。
 露店商といえば、「男はつらいよ」シリーズのフーテンの寅もテキヤで、あちらは松竹大船の伝統を生かした笑劇で、こちらは東映が売りに売りまくっていた我慢劇でおます。


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2012-04-06

忘却の彼方の「極悪坊主 念仏人斬り旅」

                 念仏人斬り旅
                  (右から)若山富三郎、睦五郎

 東映任侠映画村がまだまだ幸せだった1969年の作品でおます。
 若山富三郎主演の「極悪坊主」シリーズの3作目で、封切時から数年後、いつもの大阪・新世界の小屋で観ているはずなのに、内容はボクの記憶からすっかり抜け落ちていました。

 背中に刺青を背負った破戒僧・真海が通りかかった四国の漁村で後家さんの桜町弘子と知り合ったばかりに睦五郎率いるワルたちと闘うお話で、脚本は任侠映画を描き続けた村尾昭と山本英明、監督は、このころ、一本立ちしたばかりだった原田隆司でおます。

 でもね、このころの若富さんのシリーズ物って、全部、同じなんですね。
 有名な「極道」シリーズにしても、前後してスタートした「前科者」シリーズにしても、この「極悪坊主」シリーズにしても、正義感に燃える主人公ではあるけれど、かなりの女好きで、しかも、どこか憎めないユーモラスさのあるキャラクターでおます。
 愛した女を泣かせてばかりいた鶴田浩二、ストイックなまでにワルに立ち上がった高倉健に続き、若富さんは大映から東映村に返り咲き、しばらくワルを演じていましたが、任侠映画第三のエースとして登板したのでおますが、太りじしな体躯から鶴田、高倉のようなキャラクターはとても無理。

 そこで、プロデューサーの俊藤浩滋は知恵を凝らしたのでしょうね。で、出来上がったのが「極道」であり、「前科者」であり、「極悪坊主」であったのでしょう。
 でもね…どこか弟の勝新太郎のキャラクターと似ているような気も…。当時、まだ傾きかかった大映で頑張っていた勝新の「悪名」シリーズ、「兵隊やくざ」シリーズ、「やくざ坊主」シリーズの主人公たちと相通ずるようなキャラクターでおます。

 面白いのは、このシリーズを通して、やがて任侠映画村の新しいエースとなる菅原文太が付き合っていることでおます。主人公を宿敵として狙う盲目の旅の僧で、映画に描かれるもめ事とは関係なく出てきてはってます。いつも主人公と闘うのでおますが、引き分けのような形で立ち去っていくという、おいしい客演クラスでおます。
 菅原文太も、新東宝倒産後、松竹に移り、やがて、東映村に越してきて若富さん同様、しばらくワルを演じとりましたが、「極悪坊主」シリーズのスピン・オフ映画とも言うべき、この盲目の僧を主人公とした1970年の「人斬り観音唄」でエースの一角を占めるようになったのでおますな。

 まだプログラムピクチャーという言葉が生きていた、今は昔のことでおます。

2011-10-13

内紛劇の最後を飾った「博奕打ち外伝」

             博ち打ち外伝110927


 東映任侠映画の名花、藤純子がご町内の衆に見送られて彼方に消えていった(「藤純子引退記念映画 関東緋桜一家」)後、潮が引くように衰退してしまった、いわゆる、着流しやくざ映画は、ほぼ、この年(1972年)いっぱいでトドメを刺された中にあって、繰り返し描かれていた一家・一門の内紛劇のラストを飾ったというべき作品が、この「博奕打ち外伝」でおます。

 手だれの野上龍雄が脚本を担当し、監督は山下耕作でおます。
 山下耕作はこの年、「博奕打ち外伝」のほかに小林旭主演の「ゾロ目の三兄弟」、高橋英樹主演の「男の代紋」、鶴田浩二主演の「日陰者」と連打し、任侠映画の最後の砦死守に孤軍奮戦しとりますが、いかんせん、落日の傾きはもはや誰にも止められない時代の流れでおました。

 それにしても耕作さん、好きやね、こういう内紛劇っていうの。
 なにしろ、任侠映画全盛期に後年、評価が高まった「博奕打ち 総長賭博」(1968年)を脚本の笠原和夫とともに残している監督でおます。
 撮影所長(当時)の岡田茂から「お前ら、ゲイジュツ映画はあかんで」と叱られたというエピソ-ドを残しとりますが、任侠映画から脱出した、名コンビの笠原和夫との手切れの時も「僕はやっぱり、この世界にこだわるよ」と宣言したと伝えられております。

 さて、「博奕打ち外伝」は、還暦を迎えた組長(辰巳柳太郎)から跡目を譲られた男(若山富三郎)と川筋船頭の元締(鶴田浩二)の確執を中心に組長が外腹に設けた子ながら子分として扱ってきた男(高倉健)の存在、新たに組を急成長させようとする代貸(松方弘樹)の陰謀などが絡み合い、主役の鶴田さん、いつもながらの渡世のしがらみに苦悩する男を演じてはります。


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2011-06-19

ひさしぶりの任侠映画日和で

浅草の侠客110617


 先日、東映の岡田茂名誉会長が亡くならはりましたが、新聞やテレビ、ネットの経歴紹介で東映任侠映画路線の立役者みたいに紹介されてました。いやはや、時世時節は変ろうとままよ、でおますな。
 東映発足当初から名物プロデュサー・マキノ光雄のもとでプロデューサー稼業まっしぐら、東映時代劇が衰退を迎えると、それまでの大看板スターであった片岡千恵蔵や市川右太衛門に幕引きへの引導を渡し、東西撮影所の合理化を推進した立役者ではおますが、任侠映画路線推進の主役では決しておませんで。それもいうなら、1968年ごろから始まり、世の常識家たちから大ブーイングが起こったピンク・エログロ路線の立役者ではおませんかいな。

 てなことで、ひさしぶりに東映任侠映画を観てきました。
 村田英雄主演、佐伯清監督の「浅草の侠客」(1963年、東映東京)と高倉健主演、山下耕作監督の「日本任侠道 激突篇」(1975年、東映京都)の2本立てでおます。
 片や、任侠映画初期の作品、片や、任侠映画最末期の作品で、両極端を走っとります。

 駆け付けた劇場は、大阪・新世界のいつもの、この手の映画を専門に掛けている映画館でおます。
 東映任侠映画で以前観たことがある作品は今はもう滅多に観ることもなく、とはいっても、まだ観たことがない作品が掛かっていたりすると、ちょこっと足を向けたりしとります。この映画館を訪れるのは3カ月ぶりのことでおました。

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2010-04-10

30年ぶりに出会った「人生劇場 飛車角と吉良常」

飛車角と吉良常


 今やもう、おなじみではなくなった尾崎士郎の大河小説「人生劇場」。
 作者の中学生時代から始まる自伝的小説で、年代でいえば大正から昭和の戦争直後まで(1920~1940年代)、延々と書き続けられた作品でおます。

 大正なんて、昭和ですら、もはやはるか後方に過ぎ去っていますから、もう今の我々には生活実感など想像の外の、ホンマ、時代劇の世界でおますな。

 愛知県の田舎(三州吉良)の落ちぶれた旧家に生まれた主人公、青成瓢吉が豊橋の旧制中学を経て早稲田大学に入学、作家を目指して、いろいろなことがあり、勇躍、文壇デビューを果たして活躍、やがて、日本が戦争時代に突入すると従軍作家として戦地に赴き・・・と作者、尾崎士郎が自分の来し方を書き綴っています。

 その中で、いろいろな人との邂逅も盛り込まれています。

 もっとも有名なのが「残侠篇」に登場する飛車角こと小山角太郎、その恋人のおとよ、飛車角がおとよと世話になるヤクザ、砂村の小金一家の若い衆、宮川でおます。

 小説「人生劇場」の最も早い映画化作品は、1936年の内田吐夢監督の「人生劇場」(日活多摩川)でおます。これは「青春篇」を映画化したものです。
 戦後になって、「人生劇場」の映画化は東映、東宝、日活、松竹などが「青春篇」、続く「愛慾篇」「残侠篇」をミックスしたり、あるいは「青春篇」だけを取り出したり、「残侠篇」を独立させたりして製作しています。その中で最も多いのが「残侠篇」独立作品でおます。

 おかげで小説「人生劇場」はヤクザ小説のイメージを持たれていた時代もおましたが、「残侠篇」の中心人物になる飛車角や宮川は、この大河小説では主人公が出会っては消えていく群像の一部にしかすぎません。

 内田吐夢監督が1968(昭和43)年、「人生劇場」映画として30数年ぶりに映画化した東映東京作品「人生劇場 飛車角と吉良常」は、その名の通り、「残侠篇」独立作品でおます。
 世の中、「明治百年」と言われた年であり、2年後の日本万国博覧会開催を控えた、現在とは全く違う好景気にわき、一方では学生たちの騒乱が猛々しかった(今では、あの学生たちも定年世代でおます)にぎやかな1年であり、映画では東映の任侠映画全盛のころでおます。

 

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Author:青山彰吾
 日本映画を中心にしたコーナーです。
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