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2013-06-19

大学生はもがき、苦しむ「ボクセカ」

              僕たちは世界を130618

 カンボジアの山村に貧しい子どもたちの学校を建設しようと、悪戦苦闘する日本の大学生たちの実話をもとにした映画「僕たちは世界を変えることができない。」が公開されたのは2011年でおます。ハチャメチャな無頼派に憧れ続けた深作欣二監督の息子、深作健太の監督作品で、彼は1972年生まれ。この時は30歳手前になっていましたが、映画に出てくる学生たち、殊に向井理演じる主人公の屈折した大学生活の日々にシンパしとります。

 何の力も資金もない学生たちがカンボジアの、都会から遠く離れた村に学校を建設する夢を抱き、事実、学校は建設されるのでおますが、実話であっても劇映画として再現されると、どうも面映ゆいものでおます。それが美談であれば美談であるほど、実際に携わった人たちの苦労が絵解きされると劇映画として観ているほうにとっては「あ、そうなの」といった感慨でしかなく、それは観るほうの感性が鈍磨しているためか、それとも伝えるほうの感性が観客に深く訴えてこないためなのか、どうも困りものでおます。

 むしろ、この作品では学校建設までの苦労話より、学校建設という目的を持った学生たちの日々の自堕落な生活ぶり、必死になって目的に向かって気負い立ってはいない日常のさまざまのエピソードをドキュメンタリー風なカメラワークで、芝居臭くならないように綴っているほうがリアル感があり、面白いのでおますな。


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2013-03-22

息子と恋人の「東京家族」

              東京家族

 小津安二郎監督の「東京物語」(1953年、松竹)を下敷きにしたとされる山田洋次監督の「東京家族」(2013年、「東京家族」製作委員会、配給=松竹)が、全国主要都市での公開を終えて田舎のシネマコンプレックスに回ってきたので、はからずも観ることができました。
 映画のラストに『この作品を小津安二郎監督に捧ぐ』と白抜きの縦タイトルが出て、映画のストーリーの骨格、登場人物の名前、関係などから明らかに「東京物語」を下敷きにしており、いや、むしろ、一部、人物の設定を変えてはいるものの、リメイク作品といってもよろしおますやろね。

 そこで……
 小津映画の最高傑作とされている作品のリメイクのためか、はたまた観るほうがそう意識してしまってスクリーンを見つめたためか、山田洋次さん、クソ真面目なんでおますな。
 映画の随所に時たま見られる、人物がワンショットに収まった時の相似形になるような構図、バストサイズで捉えられた人物の話相手をみている、すなわちカメラを見ている視線、その話相手との切り返しのショット、長男一家の家庭内に見られるように画面奥に台所があり、真ん中を廊下が通っていて、その途中の右側に二階へ通じる階段がある配置、それをワンショットに収めたローアングルのカメラ位置、人物が右から左へ、あるいは、その逆に画面を横切る時、必ず、画面の両側には壁やドアがある造り、もしくは長女の美容院前の一段高いところにある通りの造り、「東京物語」で聞き覚えのある似たようなセリフなどなど、そんなに小津映画を彷彿させんでもええんやないの、の意識っぷりでおます。

 しかし……
 さすがは、今や、日本映画界の最高齢の域に達した山田洋次さんでおます。
 これらは、すべて映画の商売上の意識した演出なんでおますな。大先輩の不朽の名作とされる映画のリメイクなんやから、思いきって前作をしのばせるシーンの構図やセリフ、役名を入れてやれと思ったのかどうか、それは営業政策の意図的な演出で、その実、山田洋次の本当の意図はもっとほかにあったのではないかと思わせたのでおます。
 それを象徴しているのが、年老いた周吉、とみこの夫婦(橋爪功、吉行和子)の二男昌次(妻夫木聡)とその恋人紀子(蒼井優)の存在でおました。




 

 

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2012-11-06

雑な計画だねの「黄金を抱いて翔べ」

                黄金を抱いて跳べ121106

 おそらく原作(高村薫)では文字で金塊強奪に参加した6人の男たち(妻夫木聡、浅野忠信、チャンミン、桐谷健太、溝端淳平、西田敏行)の背負っている過去が詳しく述べられているのだろうけど、その過去を中途半端に取り込んだがため、もうちょっと整理してスッキリさせたらよかったのにと思わせてくれた井筒和幸監督作品(脚本=吉田康弘、井筒和幸)でおます。

 ラスト、金塊強奪にともに取り組んだ妻夫木聡の遺体がくるまれているだろう、縄で縛られた黄色いシートの膨らみをリーダーの浅野忠信がそっと川に放っていますが、おいおい! なんでおますな。

 映画の流れと雰囲気に水を差すようなツッコミはもっとも野暮なことでおますが、それでもね、おかしい時は「それ、おかしいぞ!」と言わなくっちゃね。
 場所は大阪市のど真ん中。少し詳細に述べれば、中之島付近。もっと詳しく言えば淀屋橋にほど近い川べりでおます。たまたま場所が分かったから言えるのかもしれまへんが(いや、知らなくても都会のど真ん中ということは分かります)、そんな所でシートにくるまれた人間大のものを川に流せば、あやしいことは一目瞭然ではおまへんか。

 撮影は早朝の時間帯のようで、人通りこそおまへんが、時間は明るいうちの設定でそんなことをすれば、どこで人が見ているか分かりまへん。近くの道に人通りがなくても、対岸のビルの窓から、たまたま人が見ていたいうこともないではおません。
 シートの包みはすぐに水中に没していきましたが、運よく水中を流れれば、やがて海に流れてゆきます。あのあたり、川幅が広く、海に出るまで障害物もおませんからね。というより、そこから車を飛ばせば、すぐに大阪港に行き着くというのに、なぜ海に流すという設定でなく、海にまでまだ距離がある川に流したのか、映画の流れからすると「そりゃ、危ないで!」なんでおますな。

 あるいは、金塊強奪が近くの銀行の地下を舞台にしていたから、あえなく命を落とした仲間、ブッキーへのリーダーなりのレクエイムとして川に流したとも受け取ることもできますけどね。

2012-10-27

さすがの「踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望」

               踊る大捜査線121027

 アメリカ映画の「踊る大紐育」と「夜の大捜査線」からタイトルをいただいたというテレビシリーズが始まったのが、今から15年前。翌年、映画化されて以来、今回は映画シリーズの一応の完結篇でおます。その間、スピンオフ映画が2本。
 テレビのヒット作品が、その後、映画化されるというのは昔からよくあることで、このシリーズでテレビマンたちによって4本の作品が製作され、映画屋たちの手に委ねられなかったことは悔しいことでおますが、時の流れに抗う手立てもおまへん。

 プロデューサー・亀山千秋、脚本・君塚良一、監督・本広克行のオリジナルメンバーによる、この最終作は織田裕二や柳葉敏郎、深津理絵など、おなじみのレギュラー役者がおなじみのように元気よく動き回り、おなじみのギャグをかまし、おなじみの恨み節のようなストーリーでカメラがせわしなく動き、息をも継がせないテンポいい展開に、今のところ、二時間余を楽しめる、ほかに求め得ない一大エンターテインメント映画でおました。

 ただね……。
 「ああ、またジャニーズか…」とウンザリさせられるのは大勢力を誇る芸能事務所の力学が働いて仕方ないとしても、せっかくパソコンの陰に隠して、なかなか犯人の正体を見せない工夫が生きていたのに、ここまでは演出力の妙技でおますが、その後、犯人が正体を現してからがあきまへん。
 あそこで正体を見せるのは展開の理にかなったことながら、犯人役のにいさん、いかにもな演技の表情で、見た途端、「アカンわ~」なのでおました。配役の意外性を狙っていたのが、このにいさんの芝居ができない顔の表情でぶち壊しなのでおました。
 残念!

 それと、捜査をデスクから指揮する警視庁の管理官を演じた小栗さんを見て、若き日のブラット・ピットを彷彿しました。危ないなぁ。若手のいい俳優なのにねぇ。つまり、あれもこれもと何でもできることが、いい役者の条件とは限らないという意味において、でおます。

 それにしても、この手の最近の刑事映画・ドラマは、東京の街を大俯瞰のカメラでなめるのが好きでおまんな。


2012-10-22

なんで小さいの「ツナグ」

ツナグ 121022

 高倉健主演の「あなたへ」(監督=降旗康男)に続いて観た、今年公開の日本映画でおます。 
 映画って、何だろうな?って考えさせられました。
 もちろん、これはボクの感覚的なものであって、論理的に述べよと言われても、できっこありまへん。

 感覚的にどう感じたのか。この前も述べたように、映画としての器が小さいんですね。
 じゃぁ、巨額の製作費を投入し、名だたる俳優をベタベタ並べ、クレーン大活躍のカメラワークを駆使し、おまけに実写では無理っぽい部分をCGで合成した映画なら、器が大きくなるんかい? と問われれば、そういうことではありまへん。

 製作統括が日本テレビだからというわけではおまへんが、生者と死者をつなぐ3つのお話を通して生きている者の心の行き方を描いた、この作品を観ていて、何だかちょっとデキのいいテレビドラマを観ているような器を感じて、大画面の映画として描くなら、もっと撮り方があっただろう! って思ってしまったのでおなす。
 その生者の心の行き方を主人公の高校生(松坂桃李)のモノローグで処理し、それぞれの登場人物の演技を、おばあさん役の樹木希林やおじさん役の仲代達矢、もう一度会いたいと願う息子(遠藤憲一)に会いに来る死者の母親役の八千草薫などのベテラン勢の演技に任せてしまって、う~ん、こんなのでいいのかなぁ~なんでおました。
 モノローグなんてなかっても、むしろ、そのモノローグの部分こそ、絵として映像にしなくれば、映画と違うんとちゃいます? 辻村深月の原作「ツナグ」の映画化でおますが、僕たち観客は単に絵と言葉になった原作物を観るために入場料を払ったのではおませんからね。

 今さらこんなことを記せば、日本映画はとっくにテレビの二時間ドラマ化しとるぞ! っていう声がどこかから飛んできそうですけどね。





 
 

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2012-10-03

魂の彷徨の行き着く果ての「あなたへ」

             あなたへ1 121003

 高倉健205本目の映画だそうで、6年ぶりの出演作品の「あなたへ」(2012年、製作プロ=東宝映画、監督=降旗康男)を先に観た友達から「久しぶりに普通の日本映画を観た感じかなぁ」とメールがおました。あまりにも奇をてらったような、あまりにも未熟なような人たちが参加している映画が多いゆえでおますやろうか。

 その翌日、ボクもこの作品を観に行ったのでおますが、ここんとこ、ずっと高倉健の映画の監督といえば降旗康男で(前作の中国映画は違いますが)、そのゆえか、降旗さん、すっかり高倉健の座付き作者となって一部の高倉ファンの評判はよろしくおません。
 強烈に自分を主張することもなく、着実といえば着実な、その特性が逆に、この作品ではいいように出て演出はクラシカルなほど落ち着いた雰囲気を漂わせてはります。それは若い監督たちには見られない、大人の味とでもいえばよろしおますやろうか。

 その一方で、高倉さん、監督を指名するなら、もうちょっと冒険心があってもよかったんとちゃうでおます。あれよあれよという間に日本の俳優陣の中でも最高齢に属するようになり、それでなお主役を張るのはすごいことでおますが、あと何本の映画に出られるかを考えた時、やはり、自分とよく組んだ監督で安定路線を取り、「見苦しさ」を極力排したのですやろね。
 とはいえ、高倉さん自身の肉体の老化、長セリフのもつれなどの「見苦しさ」は友達も指摘してはりましたが、それは、ま、目をつむることにしましょう。肉体の老化やセリフのもつれを役柄のキャラクターに転化できるほど、高倉健という俳優は器用ではなく、なにせ「不器用ですから…」がウリですからね。

 本人は元気かくしゃくのつもりでいても(老いを意識していても)、観客からすればハラハラ物であることはままあることでおます。しかし、製作に携わる周囲が本人に指摘するなど、とてもできるものではおまへん。
 舞台の人ながら、かつて中村歌右衛門がそうであったように、先代片岡仁左衛門がそうであったように、あるいは杉村春子がそうであったように、高倉健が「そうであったように」とならないことを願うばかりでおます。





 

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Author:青山彰吾
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