2017-05-15

浪花五郎って……??

 長期の休みをいただいていましたが、ようやく休み明けです。

 この4月に元漫才師で女優の京唄子が亡くならはりました。
 でも、今回はその唄子ねえさんの話題やおません。
 亡くなった時のネットの死亡記事を読んだ時、唄子ねえさんが若いころ、「浪花五郎一座に加わり、座長の浪花五郎と結婚」とおました。現在でもウィキペデアの「京唄子」の項を見てみると、そのことが触れられております。でも、浪花五郎とは何者か、その注釈はおません。

 ボクが知っている「浪花五郎」といえば、東映京都に在籍していた大部屋俳優のおじさんです(多分、年齢的には既に鬼籍に入っているだろうおじさんなので『在籍していた』と過去形にしました)。
 大部屋俳優の例にもれず、東映京都の浪花五郎さんも実にさまざまな映画で、さまざまな役柄に扮して主役たちの後ろを彩っていやはりました。時にクレジットタイトルに名前が載ることもあったけれど、ほとんどの場合、名前が載ることもなく、時代劇なら幕閣の大名に扮した並び大名、あるいは商家の番頭からちょっとした通行人などでセリフもほとんどおません。、やくざ映画ならやくざの親分たちの集まりで顔を揃えている親分や賭場の客など、こちらもセリフのない役で出てはります。
 ここに顔写真をアップできればいいのですが、大部屋俳優なので映画でアップで捉えられることはおません。だから顔写真を載せることはできへんのでおますが、ボクが映画で観ていたころの浪花五郎さんは60際代か70際代で、既におじいちゃん俳優でおましたが、若いころはさぞ二枚目だったろうと、そんな面影を残してはりました。
 多くの大部屋俳優が、かつては映画でスターだった人、旅芝居で一座を率いていた人などがいてはり、そのでんでいうと浪花五郎さんもひょっとして……?と思い、「あの浪花五郎って、京唄子の訃報に出ていた浪花五郎?」と思ったのでおます。
 誰か、ボクより大部屋俳優事情に精通してはる人がおられるのなら、ご教示お願いします。
 
2015-12-27

健坊と原節ちゃんとスミコさんと

                         高倉健メモリーズ 151222

 久しぶりのショボブログ更新が、今年最後の更新ブログになるかもしれまへん。
 それはともかく・・・・・

 昨年11月にあの世へ旅立った高倉健の50数年に及ぶ事績を記録するソフトカバー本がキネマ旬報社から出版され、先日、書店を覗くと、さすがに旅立ち1年を経ても健坊は大スター、発売直後のせいか、田舎の書店でも平積みで店頭に並んでおり、買っちゃいました。

 その表紙が、画像にあるトシ経た健坊の笑顔の写真でおます。
 実は出版前に、この「高倉健メモリーズ」と称する書籍の執筆陣に名前を連ねている北海道在住の友達から連絡があり、12月に出版されることを知ったのでおますが、くだんの友達が言うには編集者はおおむね年代の若い人ばかりで、ほとんど健坊の任侠映画時代のことは知らないということでおました。

 そりゃそうですやろねぇ。
 健坊が斬った張ったの任侠映画の大スターだったのは、もう40年近い過去のことでおます。むしろ、現在は任侠映画時代以後のむっつり健さん、中年域に入った高倉健のイメージが大きいですもんね。そして、やがて文化勲章という栄誉に輝いた『日本映画最大の映画俳優』になった稀有な存在のスターさんでおます。

 でも、ボクはもやは古い人間なんですやろね。
 新刊の「高倉健メモリーズ」を買ったのも、女房が黄色いハンカチをなびかせて自分を待ってくれていると信じたい出所者にも、大吹雪の中を行軍する軍人さんにも、降雪の重さよりも人生の重さを背負っているような鉄道員さんにも、女房の死後、ロードムービーする刑務官にも、内田吐夢監督の「宮本武蔵」シリーズ以来の時代劇で老人暗殺のテロリスト集団の親玉にも全然興味はなく、健坊を『大スター高倉健』たらしめた任侠映画時代、もっと言えば、それ以前のあまり目立つことのなかった『東映スター高倉健』だった時代がどう評価され、振り返られているのかに興味の的があり。だから「買っちゃいました」なのでおました。

 とはいえ、まだ買っただけでページを繰っていないのでおますが・・・・・・。

 昨年の健坊の幕引きに続き、今年9月、女優として姿を消した原節子さんも95歳という高齢で、あちらの世界に引っ越しをされました。


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2015-07-05

小津安二郎&高倉健

                        蓼科日記&死んで貰います 150705

 お江戸に住まいするお友達が、ちょうど2年前に出た小津安二郎の『蓼科日記』(小学館スクウェア刊)を送ってきてくれました。
 くしくも、小津が残した日記を解説した都築政昭著『小津安二郎日記』(講談社刊)の再読を始めたばかりでおました。
 にしても、チョー分厚い一冊・・・・・・。
 既に出ている『全日記 小津安二郎』(フィルムアート社刊)も分厚くて、しかも持ち重りのする一冊でおますが、まだ『全日記』のほうは拾い読みしただけで、読破もしていないのに、果たして新たな一冊を読み通すことはできるのかしら?
 日本には日記文学というジャンルがあるけれど、小津監督が遺している日記は果たして、小津が自分の没後、他人に読まれることを意識して書きつづられたものかどうか。それはともかく、知己に送ったハガキの文面をそのまま日記にしたためていることもあるらしいのでおますが、スケッチ風の簡潔な文章が余計に、その時の小津の心情を彷彿させるのでおます。

 デァゴスティーニから出ている例の『東映任侠映画傑作DVDコレクション』。
 既に10巻近くが発売されとりますが、始動時期がちょうど高倉健があちらの世界に旅立った直後だったせいか、これまでに出ているコレクションは健さん映画と、彼とは名コンビだった藤純子の「緋牡丹博徒」シリーズばっか。
 「まだまだボクが金を出すのは先のことばい」と思っていた矢先、『昭和残侠伝 死んで貰います』をご購入(笑)。
 これで初号の『網走番外地』と3号目の『昭和残侠伝』(いずれもシリーズ第1作)に続き、コレクションは三つ目でおます。
 せやけど、まだ観とりまへん。
 監督のマキノ雅弘好みの「かわいい女」を演じる純子を観たくて買ったのでおますが、かつて映画小屋で繰り返し観ていただけにストーリー展開は熟知しているためか、全く観ていなかった映画をDVDで観るドキドキ感はさすがにおまへん。が、いつになったら、このDVDをデッキにかけられるのか・・・・・・。

 というわけで、最近の日本映画にはまったく食指をそそられない(外国映画も、だけどね)ので、映画小屋通いは沙汰やみが続いているわが映画ブログの再開第1ページでおました。


2015-01-11

堅気になった健坊の映画

                        血闘神田祭 150111

 正月早々、花のお江戸の名画座事情を伝える、いつものお友達さんが名画座のチラシを送ってくれ、それを先にブログアpップを考えていたのでおますが、チンタラしている間に昨年11月、あちらの世界に引っ越しをした高倉健の出演映画について、おもしろい新聞記事があったので、それについて一言・・・・・・。
 記事が載ったのは、1月10日付の朝日新聞の付録(b2面)。『あなたの好きな‘’健さん‘’映画』とという多くの読者から募った高倉健映画のランキング特集でおました。

 1位 『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)
 2位 『鉄道員(ぽっぽや)』(1999年)
 3位 『八甲田山』(1977年)
 4位 『あなたへ』(2012年)
 5位 『南極物語』(1983年)
 6位 『駅(STATION)』(1981年)
 7位 『野生の証明』(1978年)
 8位 『居酒屋兆治』(1983年)
 9位 『ブラック・レイン』(1989年)
 10位 『ホタル』(2001年)

 健坊が引っ越しした報が流れた時、さまざまな役柄に挑戦した前半生の映画に比べ、『幸福の黄色いハンカチ』以降の後半生の映画は面白くなかったという理由で、いっさいの追悼コメントを出さなかった映画評論家がいてはりましたが、その人が知ったら腰を抜かしそうなベストテンでおます。ベストテンに並んだ作品は、まさに面白くなかったという後半生に製作された映画ばっかでおます。
 そして「やっぱね。一般にはこういうふうになってしまうんやね」というのが、ボクの感想でおました。
 よくいえば、やくざ映画を中心に高倉健を大スターに押し上げた前半生(くだんの評論家が指摘するところの)のさまざまな男たちを演じていた努力と研鑽が結実した時代の映画群でおます。
 健坊が文化勲章を受章した時、自ら「ほとんど前科者ばかりを演じてきて・・・・」と健坊は謙遜気味に語っとりましたが、その前科者、あるいはこれから前科者になる男たちを演じていたやくざ映画にこそ高倉健の魅力があると思う者には、いささかさみしすぎるベストテンで、もとより年齢、映画鑑賞歴など必ずしも同じ条件下の人たちが集まったベストテンではなさそうなので、これは致し方のないことかもしれまへん。
 記事の見出しに『寡黙な背中にしびれました』とおましたが、後半生の健坊は自らが作り上げたスターとしてのイメージに縛られていた印象があるとはいえ、「寡黙な背中」を営々と築き上げていた時代を越え、「寡黙な背中」が完成した後の作品が並んだベストテンは、記事の中見出しにある「『堅気』になって国民的人気に」そのものを実証している内容でおます。
 その『堅気』になる以前の映画として11位にようやく『網走番外地』(1965年)がランク外入りし、17位に「昭和残侠伝 唐獅子牡丹』(1965年)が入っとります。

 11位 『網走番外地』(1965年)
 12位 『遥かなる山の呼び声』(1980年)
 13位 『新幹線大爆破』(1975年)
 14位 『動乱』(1980年)
 15位 『飢餓海峡』(1965年)
 16位 『君よ憤怒の河を渉れ』(1976年)
 17位 『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』(1965年)
 17位 『あ・うん』(1989年)
 19位 『四十七人の刺客』(1994年)
 20位 『単騎、千里を走る』(2005年)

 ベストテン外の映画も、やはり『堅気』になった以降の作品が多く並んどりました。

                       緋桜一家 150111
                       「藤純子引退記念映画 関東緋桜一家」から
2014-11-19

高倉健、消えゆく時は鮮やかに幕を引く

                       日本侠客伝1 141119

 高倉健が亡くなっていたことは、仕事の昼休み、友達からのメールで知り、その友達のメールには『こういう日が来たね』とおましたが、亨年83、健坊、いい時に行っちゃったねぇ。
 死去の発表があったのは11月18日で、実はおよそ一週間前の10日に既にあちらの世界へ旅立っていたそうでおます。
 一週間経ってからの旅立ちの発表は、おそらく当人の遺志ではなかったか。
 『騒ぐな、慌てるな』と幽冥界を異にした今、健坊はそう言っているのかもしれまへん。

 映画俳優として初めて文化勲章を受章(2012年)したほどの高倉健といえど、自然の摂理には逆らうことはできまへん。亨年83の今でなくても、いつかはきっとあちらの世界に旅立つ時が来る。それは凡百のわれわれにも同じ運命が待っているというものでおます。 
 殊に世間の多くの人に見られる俳優という職業を選んだ者にとっては、世間の耳目の前から姿を消すということは、最後に残った大仕事のような気がしてなりまへん。年老いて、俳優としてわが肉体をさらけ出すこともなくなり、世間から忘れ去られたような存在になっても、かつての栄光の名前だけは残るわけですから、「あの人はどうしてる? 亡くなったの?」となっては人気稼業の身も蓋もないというものでおます。

 その点、健坊は83歳とはいえ、実に鮮やかな引き際をわれわれに見せてくれたと思います。
 それは現役俳優のままで、消えたことに尽きるのではないですやろか。
 高倉健とはいえど、老いには勝てず、顔にシワが刻まれ、白髪交じりの頭髪、ちょっと若いころから目だっていた手の甲の斑点、これらはすべて老年そのもので、しかし、老俳優になったからといって、少しも彼の魅力を半減させるものではおませんでした。むしろ、男の顔は履歴書とでもいうべきものでおました(ただひとつ、入れ歯らしい口元は常に気にはなっていたけれど)。
 もし今、健坊が60代、70代で消えたとしたら、「残念! 無念!」と思い、その早すぎる旅立ちは惜しんでも惜しみきれない出来事になっていたかもしれまへん。 

 高倉健、不思議な俳優でおました。
 彼は1960年代半ばの「網走番外地」シリーズや「昭和残侠伝」シリーズ、「日本侠客伝」シリーズなどで、製作の映画会社を背負って立つほどの人気スターに躍り出たわけでおますが、それ以前からずっと映画デビュー当初から主演を張っていた人でおます。とはいえ、全然人気が出まへん。それでも、なお主演スターでおました。
 普通、デビューして数本、主演映画を撮り、それで話題も人気もなければ「こりゃ、アカンで」となり、映画会社の営業路線からとっくに降ろされてしまい、やがて助演扱いから果ては端役をあてがわれ、やがて人知れずスクリーンから消えていく、そんな俳優が数えきれないくらいいるというのが厳しい現実でおます。
 ところが、彼はアクション映画はもとより、サラリーマン物映画で主演を張り、美空ひばり映画の相手役に起用されたりして、ついには時代劇映画にまで進出し、それでも人気は今ひとつ。兄事した中村錦之助の代役で主演した「昭和侠客伝」(1964年)で思いきった勝負に出たところ、任侠映画が注目されてきた流れもあり、会社を背負って立つほどの人気俳優への足がかりをつかんだのでおます。
 雌伏すること、実に9年。
 不思議な俳優さんとしか言いようがおまへん。

 ところで、テレビのワイドショーなどの芸能ネタで司会者たちがしきりに「けんさん、けんさん」と親しげに呼び、高倉健の話題かいな?」とテレビを見れば渡辺謙のことだったということが罷り通っていた昨今、これでテレビが「けんさん」と呼んでも戸惑うことはなくなりました。
 でも、高倉健の映画を観てきた者にとっては「けんさん」は「健さん」なのでおます。
 個人的には何ら知り合いでもないのに、このしょぼブログでは若いころの高倉健を育てたマキノ雅弘監督に倣い、「健坊」と呼んでも、高倉健さん、怒っちゃダメですばい。


2014-11-05

極東映画なんて知らないよ~~

                     チャンバラ王国極東141105

 かつてボクが勤務していた専門紙の会社で、1930年代の日本映画界に存在した極東映画(のちに極東キネマ)で監督を務めていた人と編集部の机を並べていたことに興味を持ったらしい江戸在住のお友達が、「この人かぁ~?」とわざわざ近所の図書館で極東映画の写真集のインタビュー記事の部分をコピーして送ってくれました。
 この写真集は今も大きな書店の映画書コーナーに多くの書籍に挟まれながら並んでいるはずで、発売時、買ってはいないけれどボクも立ち読みしたことがあります。そして、その中でボクが出会った元映画監督がインタビューを受けている記事を目にしてびっくりしたものでおます。
 同じころ、お友達も写真集を書店で見かけ、購入していたそうでおますが、その後、雑多な映画関係のコレクションにまぎれて手元にはなかったので、それでわざわざ図書館でコピーしてくれたそうでおます。
 ところが、先日!
 久しぶりに自室の掃除をしたら「出てきたぁ~!」と、お友達から画像付きのメールがおました。その送ってくれた画像が上掲の写真で、その画像をわがしょぼブログに拝借しました。



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Author:青山彰吾
 日本映画を中心にしたコーナーです。
 ただし、取り上げる映画は偏っています^^
 
 

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